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2021年4月28日 (水)

伯耆守平国盛2

 問題は国盛の系譜上の位置づけであるが、教盛の二男国盛(教経)は応保元年には二才でしかなく、備前守国盛とは別人である。そこで尊卑分脈で確認すると、時期的には平国兼の子国盛が該当する。分脈には国盛については小野(あるいは北野)判官という尻付しかない。国盛の祖父兼季は上総守に補任されているが、検非違使としての活動が中心である。国兼の兄弟盛兼も検非違使の傍ら、摂関家と関係の深い和泉と佐渡の国守を歴任している。盛兼の子信兼も河内・和泉の国守を歴任しているが、久寿二年(一一五五)年には頼長との間に乗合事件を起こし、父盛兼が頼長に従属を誓う名簿を差し出すという事件を起こしている。そして信兼の子で義絶され赴いた伊豆国で目代となり、頼朝の挙兵で血祭りにあげられたのが山木判官兼隆である。
 ということで、備前守に補任された平国盛は国兼の子と思われる。国盛の従兄弟信兼は治承・寿永の乱時には出羽守在任中であった。国盛は永万元年七月一八日に備前守を退任し、備前国は邦綱の知行国となって子隆成が国守となった。その一三ヵ月後の仁安元年八月二七日の除目で国盛は伯耆守に補任されたが、翌年二月七日には伯耆国は平時忠の知行国となり、その異母弟親宗が国守となっている。国盛は邦綱と同様、摂関家と平家(基実と清盛は連携)の両方と関係を持っていたと思われる。仁安四年一月一一日の除目(兵範記)にみえる「民部権大輔平国盛」は備前・伯耆守国盛と同一人物であろう。
 本稿は五味文彦氏作成の備前国受領表の内容(平国盛とその関連史料)を再確認したものである。新たに加えたのは国盛の系譜上の位置づけである。国盛が伯耆守在任中の伯耆国は平氏知行国かどうかは微妙である。
付記:教経の別名ではなく、兄に国盛を記す系図の存在について教示を得た。再検討した結果、すべて教盛の子国盛に訂正する。系図では通盛の弟という位置づけだが、国盛の備前守補任は除爵を前提とする。通盛は国盛が備後守に補任される一年前に叙爵しており、年の近い異母弟であろう。

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コメント

貴重な論考拝読させていただきました。
以下気になった所がありますので、コメントいたします。伯耆守国盛ついて、一般的には、尊卑分脈に従い教経の初名国盛と見えるので、同一人物されますが、両者を別人(兄弟)とする系図もあります。
具体的には、上杉本系図に教経の弟として、国盛の名があげらています。さらに、同系統と考えられる。板本源平系図には、教経の兄として、[国盛 前伯耆守]と見えます。
以上は、佐々木紀一氏の論考[桓武平氏正盛流系図補輯之籾殻]によりますが、国盛と教経が別人か私には判断が付きません。とりあえず参考になれば、幸いであります。

最近はあまり原稿をアップしないので先ほど気づきました。通盛が永万元年一〇月に常陸守に補任されているので、伯耆守はその弟国盛というのは可能だと思います。「民部権大輔平国盛」が国兼の子国盛というのは、疑問を持ちながらの比定でしたが、教盛の子国盛なら問題はないでしょう。佐々木氏の当該論文は未見でした。

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