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2021年3月10日 (水)

駿河守藤原信輔1

 信輔は経忠と閑院流公実の娘実子との間に生まれ、忠能・経親・経雅とは同母兄弟であるが、只一人、祖父師信の一字をその名に付けている。坊門家と水無瀬家はともに信輔の子孫から出ている。系図の記載順からすると信輔は経親と経雅の間で三男となるが、『中右記』四月一三日条には経忠三男で中務少輔としては「年少」とあり、これによれば信輔は四男となる。
 長子忠能の計歴は公卿補任に不備があり、康治三年以前が不明であるが、元永一年一月二四日以前に少納言に補任されている。次いで保安二年六月二六日には父経忠が右馬頭を辞して忠能を申し任じている。忠能は大治四年二月一七日には駿河守を兼任し、右馬頭在任は長承二年二月九日まで、駿河守在任は同年七月一三日までは確認できるが、実際に両職をいつ退任したかは不明である。
 次子経親は、永久四年一月一四日には従五位上に叙され、それ以前に中務少輔に補任されていた。次いで元永一年三月二七日までには右兵衛佐に補任されている。三子経雅は元永二年七月三〇日に淡路守に補任されているが、前述のようにそれ以前に中務少輔に補任されていた。ただし、淡路守補任は前任者藤原説雅が在任半年で死亡したためであった。四子信輔は保安一年二月一四日に左衛門佐に補任され、天治一年六月五日以前に経雅の後任の淡路守となっていた(御産部類記)。
 嫡子である長子忠能は少納言(二六才以前)、右馬頭(二八才)をへて三六才で駿河守となった。次子経親は中務少輔に補任された後に二二才以前に従五位上に叙せられていた。四子信輔が兄経雅に替わって淡路守に補任された年次は保安四年と五年の可能性があるが、経雅は前任者の任期を受け継いだ可能性が高く、信輔は引き続き若狭守に遷任している点からすると、保安四年一月二二日(公卿補任)に信輔に交替し、一期四年務めた可能性が高い(五味氏の補任表でも保安四年としている)。

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