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2021年2月18日 (木)

加賀守藤原済綱2

 話を済綱に戻すと、済綱の父師綱は待賢門院・崇徳院流の核となる藤原俊忠の娘を妻としている。済綱の母は不明だが、その姉妹には藤原朝方との間に朝定・朝経兄弟を産んだ女性や波多野遠義との間に義通を産んだ女性がいる。済綱の子済基は知行国主花山院氏のもとで伯耆守・能登守となる一方、源義仲がクーデタを起こした際には義仲の知行国丹波守に起用されたこともあった。済綱の娘は花山院兼雅と平清盛の娘との間に生まれた五辻家経の妻となっており、これが伯耆・能登守起用の背景であった。済綱は治承三年一一月の平氏のクーデター時には解官された平信業に代わって大膳大夫に補任されているが、これも同様の背景であろう。また『明月記』寛喜元年四月二七日条には、病気で床に伏せっていた定家のもとを訪ねてきた大膳大夫時綱と話したことについて、時綱の祖父済綱が「先人之出」であるという旧好を忘れずに来たことで互いに忘れないことを確認したと記している。これによれば、済綱の母もまた俊忠の娘で、定家の父俊成の姉妹であったことになる。
 済綱の父師綱の母は源師忠の娘である。師忠の娘には待賢門院の近臣であった源師時の妻となった女性もいた。持明院通基の妻で通重・基家を産んだ上西門院乳母一条は師忠の嫡子師隆の娘である。師隆の子師経と熱田大宮司季範の娘との間に生まれた娘が崇德天皇の二男覚恵(元性)を産み、その同母兄弟が知行国主一条能保(通重の嫡子)のもとで讃岐守に起用された隆保(その妻は定家の異母姉)であったことはすでに述べたとおり。
 以上の点から、藤原済綱が統子内親王の知行国加賀の国守であったとする五味氏の理解には十分な根拠がある。

 

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