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2020年10月17日 (土)

北島家文書と千家文書3

 ⑪⑫に関連するのが、⑬文治元年一一月三日出雲国司庁宣であり、これも同時期に作成された偽文書である。これに対して⑭安元二年一〇月日出雲国司庁宣は国造家内部での相続争いを背景に作成されたものである。その前提としては神主と国造の兼帯があるが、兼帯する宗孝が国造を一族の兼経に一時的に譲り、国司がそれを容認することはありえない。⑮元暦二年四月日出雲宗孝譲状(千家文書)は孝房が惣検校職のみを父宗孝に譲っているが、国造職は前述の⑬国司庁宣で補任されている。⑭と関係するのが⑯建久五年三月二一日付の出雲孝房譲状と⑰三月に比定される出雲国在庁官人等解とである。国造職と惣検校職の両方と所領七箇所を子孝綱に譲っている。⑰は国造職をめぐる宗孝の子孝房と兼経の子石王冠者の対立について述べるが、宗孝は兼忠から神主職を譲られ、神主職に付く職である国造職を兼経に一時的に申し付けたと述べ、⑭と同じ時期に作成されたものである。その前提として神主が国造を兼帯するとの理解がある。神主と国造の兼帯が強く主張されたのは⑱弘安四年三月日国造義孝造営之次第注進状からで、兼帯しなければ造営・遷宮を遂げた例はないと述べている。
 以上により、⑭⑯⑰は⑱の作成時期に偽作されたものである。⑪⑫⑬⑮は延慶二年以降に領家雑掌と国造の訴訟が行われる中で国造が偽作したものである。この訴訟の領家雑掌が領家による神主補任を安堵する頼朝の下文二通を出してきたのに対抗し、且つ⑪⑫を補強したのが⑨⑩であった。
 北島国造家に残された文書は頼朝の袖判を持つ⑨のみで、⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯は共有文書として残された。これに対して⑰は両国造家ではなく、北島国造方上官佐草家文書として残された。⑰は⑭と関連する一方で孝房の親父宗孝が元出雲氏で兼忠の嫡子として相傳文書を相副えて大社神主職を譲り得たとする非論理的表現があるため、国造家文書としては残されなかった。それは建武三年の孝時申状が国造家文書としては残されず、千家から佐草家に養子に入った佐草自清覚書の中に引用されて千家文書として残ったのと同様である。

 

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