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2020年9月21日 (月)

承久の乱後の大社領家

 舌の根も乾かないとはこのことであるが、前回の記事(掲載は続ける)を大幅に訂正する。サスペンスでも「僕としたことが見落としをしていたかもしれない」との定番の台詞があるが、藤原家隆の花押は大社関係以外には存在しない。また「かすさのかうの殿」の呼び名から上総介経験者である家隆に比定されたが、公卿補任の家隆の記事には写本間の違いもあって注意が必要である。すなわち家隆は建久九年正月三〇日に父光隆(前治部卿)給で「遷上総介」とあるが、頼朝の意見書を受けて行われた文治元年一二月の除目で補任された越中守(光隆が国主)は建久元年正月には藤原資家が国守に補任されており、「遷」は誤りである。兼務していた侍従も建久四年正月の除目で正五位下に叙せられる替わりに辞任している。正治三年正月に皇后宮当年御給で従四位下に叙せられているが、皇后宮とは後の坊門院範子である。範子は家隆の父光隆邸で育てられ、兄雅隆が皇后宮権大夫であった。
 建仁元年一二月二二日復任(父)とあるのは八月に光隆が死亡したことにより服していた喪が明けたためである。次いで建仁三年四月二五日に得替とあるが、この部分は写本によっては欠落しているようである。これにより上総介を得替したことがわかるが、『国司一覧』では建永元(元久三)年正月一三日に「止任」という架空の記述をしている。この日の除目で宮内卿に補任され「元前上総介」とあるのを誤読したものである。すでに「前上総介」であった家隆が宮内卿に補任されたという記述である。前年の元久二年正月に従四位上に叙せられたのも皇后宮範子当年御給であった。元久二年三月二六日に古今集四〇〇周年に合わせて後鳥羽院に撰上された新古今和歌集の仮名序にも「前上総介藤原朝臣家隆」とある。次いで建保四年正月に「臨時」で従三位に叙せられ公卿となり、承久二年三月には宮内卿を辞することで正三位に叙せられた。以上により、宮内卿補任以降の家隆が「上総介」と呼ばれる事はほとんど無くなったと思われる。
 寛喜元年六月八日には家隆の妻が所労により亡くなっている。新古今の編者であった定家の日記『明月記』五月二六日条には家隆の妻が重病(死が近い)と聞き、二四日に続いて今朝も見舞ったが回復の望みが無いと記されていた。これが雅隆の娘であり、重隆の姉妹であろう。寛喜元年七月の花押がやや乱れていたのはこの影響であろうか。家隆の母については藤原実兼の娘との説(公卿補任)と雅隆と同じ藤原信通の娘との説(尊卑分脈)があるが、同母兄の娘との結婚は考えにくく、且つ補任の方が分脈より信頼性は高い(ただし、誤りが無いわけではなく、個々について検討する必要がある)ので、実兼の娘であろう。実兼については『本朝世紀』天養元年四月二九日条に大皇太后令子内親王の埋葬に刑部卿実兼が派遣されたとの記事があることを述べたが、『重憲記』同日条には、「本宮亮刑部卿実兼朝臣」と記されており、家隆の母が「故大皇太后宮亮実兼女」とする補任の記事と一致している。
 話を戻すと、雅隆の跡を継承して大社領家となったのは異母弟家隆ではなく子重隆であった。井上氏は発給文書の形式から三位以上に絞り家隆とされたが、『日本史大事典』の「下文」の項目で古文書学に精通した富田正弘氏が四・五位は奥上判、袖判は四位以上と述べている。ただし、前述のように小槻淳方は正五位でありながら、預所下文に袖判を加えていた。重隆は承元元年四月一〇日に上総介に補任されており、これ以前に叙爵していた。上総介は三年在任し、承元四年六月一七日に承久の乱の首謀者の一人藤原秀康に交替している。重隆の花押は建暦二年二月 日後鳥羽院庁下文の署判者「前上総介藤原朝臣」の花押で確認できる。次いで建保五年正月に「新院(土御門院)給」で従五位上に叙せられている(『為政録』、大日本史料四の一四)。さらに天福元年一二月一五日に正月に補任された弾正少弼を辞する替わりに従四位下に叙せられている。
 嘉禄元年の時点で重隆は従四位下に叙せられていなかったことが分かったが、一方で建暦二年の重隆の花押と、貞応三年六月一一日の礼紙追而書の花押、嘉禄年間と寛喜元年の領家の花押は同一のものである。これに対して文暦二年の二通の花押は、雅隆の花押に似ている。重隆が従四位叙位を機に父雅隆に似せて自らの花押を変えたのではないか。この後、仁治三年に従四位上に叙せられたが、非参議公卿への昇進は難しかったと思われる。以上、昨日の記事を自ら覆す形になったが、こちらを結論とする。重隆の死後は松殿忠房の室となった娘が継承し、次いで孫である松殿兼嗣が領家となった。 

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