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2020年9月10日 (木)

文書からの仏教的要素の排除1

 建長元年大社遷宮注進状(北島家文書、現在は出雲大社文書)については、本来あった仏教的要素(目代兼代行事源右衛門「入道宝蓮」)が削除されているが、これについて松薗氏は、削除された以降に活字化された『出雲国造家文書』と『鎌倉遺文』に対して、削除される以前に影写された北島家文書の影写本が島根県立図書館に所蔵されていると述べている(「中世神社の記録」)ので確認した。県立図書館の影写本は島根県史編纂のため明治末から大正年間に写されたものである。一方、東大史料編纂所蔵の北島家譜は一八七五年に写されたものであるが、すでに削除・修正されている(源右衛門「大夫」とある)。
 先ず『新修島根県史』古代中世史料編であたりを付けると、何故か注進状は「千家文書」として掲載されていた。原本ではなく写しであるが、当該部分は「源右衛門入道宝蓮」と本来のままであった。ということで影写本「千家男爵文書」を確認した。千家家譜も同様である。これに対して原本を所持していた北島国造家では「入道宝蓮」の部分は削除され空白であった。前述の活字本も同様である。ということで削除されたのは北島家譜が写された一八七五年以前となるが、寛文年間の造営・遷宮で仏教的要素が取り除かれて間もなくの時期であろう。県史編纂時、原本はすでに出雲大社に寄進されており「出雲大社文書」の影写本に含まれているが、『新修島根県史』では千家文書として掲載されており、これは誤解を招く。
 松薗氏にも正確な記述が望まれるが、現在残っている大社関係文書が、北島・千家いずれが所蔵していたものかは研究する上で大変重要である。島根県古代文化センター編『出雲大社文書-中世杵築大社の造営・祭祀・所領-』の解説「出雲大社文書-その成立と概要-」は意味不明な記述に終始している。すなわち、明治六年一二月一五日付千家尊澄伺を根拠に「当初の出雲大社文書は、明治元年、神祇官の古文書取り調べに応じて書き出し提出したもので、千家家伝来文書から選ばれたもの六十三通を数える」とするが、明治六年三月までは出雲大社は北島・千家両国造家が交替で祭祀にあたっており、六十三通は本来の出雲大社文書(両国造家の共有文書)と千家文書の両方から構成されている。前者は大社ならびに大社領を支配・管理する大社政所文書というべきもので、その管理にあたったのが領家が補任する神主であった。当初は国造家以外の人物が補任されることも珍しくなかったが、宝治の造営を国造が担ったことで、政所文書は国造家文書との境目があいまいになった。文永七年正月に大社本殿が焼失し、その造営が課題となると、大社領家は出雲真高・実政父子を補任したが、これに反発する国造家は鎌倉幕府と結んで、造営旧記を所持する国造が神主に補任されなければ、本殿の造営は不可能であることを主張し、神主の座を取り戻すことに成功した。ただし、出雲実政の後継者は領家から雑掌・預所に補任されることで、神主となった国造家との間で裁判を継続し、対抗した。

 

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