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2020年8月31日 (月)

周防国玉祖社寄進者藤原実明について

 保延三年九月日待賢門院庁下文によると、安芸権守藤原朝臣実明が寄進した玉祖社と社領三ヶ所が待賢門院御願寺法金剛院領とされている。天治二年五月頃白河院庁下文を得ていたが、再度の寄進が行われた。この実明について五味文彦氏がその娘が髪長の待賢門院女房(長秋記)二人のうちの一人だとする。もう一人は持明院通基の娘であった。さらに五味氏はこの女房が女院の娘上西門院女房をへて建春門院女房少納言(「たまきはる」では確認できず)となったとする。この見解は女院研究者野口華世氏も踏襲している。
 問題は前にも述べたが、実明の系譜上の位置づけである。「権介」に補任された人物の位階は従五位下が多く、まま従五位上がみられる。保延三年前後の記録に登場する「実明」は源性である。源俊明の子実明であろうか。保延三年正月五日に従四位上に叙せられたのは源実明である。
 藤原姓としては一二世紀初めに大宰権帥を解任された季仲の子に実明(同時に少納言を解官)がいるが、大治三年九月一八日に死亡している。配流から復帰し大皇太后宮(寛子)亮が極官であった。その姉妹には実仁・輔仁親王に仕え、重仁親王の母兵衛佐局を養女としていた源行宗の妻がいるが、保延三年の安芸権介実明ではありえない。『台記』久安六年正月一〇日条には占いに通じた女房治部卿がみえ、故大皇太后宮亮実明朝臣女とあるが、髪長の女房とは別人であろう。ということで、系譜上の位置づけは不明とせざるを得ない。『尊卑分脈』には該当する「藤原実明」はみえず、「実明室」という女性も時代が合わない。

 

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