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2020年8月23日 (日)

延宝二年の洪水3

 延宝二年の水害で水に浸かった検地帳を目録で確認したら、全ての郡にあった。いくらなんでもとして当該検地帳を再確認したが、松江藩が検地帳を保管する場所が水に浸かったため、判読不能となったものを、村に保管されていたものと照合し、それを写したものであった。古いものは慶長年間に遡り、延宝二年寅の洪水が松江城下町にとっては想像を超える規模であったことがわかる。これをみても、洪水の範囲は不明である。勘違いであった検地帳の写本に注目したのはその時期で、貞享二年の一一月から一二月にかけて写本が作成されていた。当然各村の石高を確認して、今後の作業に活かすためであろうが、県立図書館所蔵の貞享三年出雲国絵図が思い出される。
 松江藩以外ではどうかというと、広瀬藩では前年の貞享元年に、年月が経過し不分明となった藩の検地帳を、村に残った検地帳と照合して写しを作成していた。村の保管場所の方が洪水等の被害を受けにくく、通気性など保存する環境を良いのだろうか。逆だと思っていたので、写した際の文言を逆に解釈してしまった。

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