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2020年5月10日 (日)

最近の記事の補足

 肥前大島氏と来島文書に関して、川添昭二氏『中世九州地域史料の研究』を古本(新品同様)で入手した。念のため確認すると氏は昭和二年(一九二七)の生まれであった。師事した竹内理三氏は二〇歳年長であった。竹内氏は史料編纂所勤務中に『奈良遺文』を刊行を終え、『平安遺文』の刊行が始まった翌一九四八年に九州大学に赴任している。愛知県出身で九州大学へ赴任した中世史家では服部英雄氏がいる。古代史の坂上康俊氏は東大助手から九州大学に赴任しているが、宮崎県の出身であるようだ。同級生では隼人の研究で知られる永山修一氏がいた。彼も宮崎県の出身であったはず。
 竹内氏は一一年間九大に在籍し、編纂所に戻り、所長となった後に定年退官すると、早稲田大学で一〇年間在籍している。九大時代に指導した瀬野精一郎氏が早大での指導を継承し、その後は早大OBが指導にあたっている。川添氏は九大で指導にあたり、それが現在の佐伯弘次氏につながるのであろうか。ただし、竹内氏は全国を視野に入れた研究者であるが、その後継者は研究対象が九州に限定されている。これは広大でも同様だが、理想的には全国的視野の研究者と地元中心の研究者が交互に教授となれば、現在以上に活性化するだろう。それは、まさに現在の日本が抱えている問題、限界でもある。なお、当方が竹内氏の名前を知ったのは高校時代の日本史教科書(自由書房、その後、東京書籍が継承)の執筆者としてであった。
 話を戻すと、川添氏「来島文書と肥前大島氏」をざっと読んだが、少なくとも肥前大島氏と近江国香庄を相伝した大江氏は直接的にはつながらないようである。前者には平安末期に肥前守大江国通がいたが、後者の大江通国が受領となったのは伊豆守のみである。これは志岐氏についても同様だが、九州出身で九州以外の国の地頭職を有した例があるのだろうか。九州に残る大田文にみえる地頭から検討していかなければならない。とりあえず、田頼郷地頭大島氏と大竹寺地頭志貴氏が肥前国御家人大島氏、志岐氏の一族であるかは、可能性がゼロではないというレベルであり、なお肉付けが必要である。
 文書を残した来島氏当主の弟が、大隈重信へのテロを行った来島恒喜であることを知り、驚いたが、一方ではどのような経歴をたどった人物かも、機会をみて確認したい。京極家譜の問題を述べようとしたが、佐々木秀義の実像が全く不明であることに呆然とし、とりあえず、「源行真申詞」からわかることをまとめるのが精一杯であった。秀義の長子定綱と宇都宮氏の関係も、宇都宮氏研究から確認していく必要がある。系譜資料は貴重な情報伝えてくれる反面、扱いが大変難しいことを痛感している。秀義の子の三人(定綱、盛綱、高綱)がその名に「綱」を付けている背景は何であろうか。佐々木哲氏の秀義=源資長説では何の説明にもならない。

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