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2020年4月 7日 (火)

人名比定の難しさ1


 京都大学所蔵の淡輪文書の画像が公開されているが、第一号の「禅定従二位家政所下文」の禅定従二位の比定はなされていない。編纂所の花押データベースも同様である。ただし、『公卿補任』を利用すれば、容易に比定ができることは前述の通りである。桜井彦氏の論文で近衛家領の知行者の比定がなされているが、ある程度関係史料が残っているにもかかわらず、『尊卑分脈』にみえない人物も少なからずあり、この作業は容易ではない。
 氏の論文集の「あとがき」によると、近衛家領を検討した論文は、それまで未発表のもの(新稿)で、とりあえず論文集が刊行された二〇〇六年二月以前のものである。その当時と比べて現在では編纂所のデータベースの充実や文書の画像データの公開が進んでおり、氏の作業には困難があったのも事実である。なお、検討していないものが残っており、それについては問題があれば、後の記事で言及したい。
 検討の必要を感じたのは近江国柿御園の知行者「兵部卿入道」である。氏は「本目録が建長五年に成立したものであり、官職などの記載が忠実に当時のものを反映しているとすれば、建長五年段階で兵部卿であった(源)有教とみなすべきであろう。ただし、有教については出家をしたことを示す資料はなく」としている。有教ならば「兵部卿」でなければならない。比定すべき人物は、建長五年以前に兵部卿となり、且つ建長五年以前に出家した人物である。これ以外にも「宗俊法師」と「行有法師」も建長五年時点で出家していた人物に比定すべきである。
 有教が兵部卿に補任されたのは嘉禎二年七月二九日に従三位に叙せられた時点である。前任者藤原成実が子成基を侍従にするため兵部卿を辞したことによる。成実は寛喜三年三月二五日に太宰大弐兼宮内卿から兵部卿に転じている。その前任者は嘉禎三年に従三位公卿となった藤原経賢で、嘉禄二年(一二二五)正月一三日に兵部卿に補任されている。その時点では従四位上であり、公卿以外が補任されていた。経賢の前任者は承久元年一〇月五日に補任された正三位菅原在高卿であった。在高は前任の藤原忠行(建保三年四月に藤原成家の出家により補任)が子経季を刑部大輔にするため、同年八月一三日に兵部卿を辞したことをうけての補任であった。在高が子淳高を刑部卿に補任するために兵部卿を辞した後任が経賢であった。
 

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