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2020年4月 6日 (月)

近衛家領について

 摂籙渡庄である出雲国冨田庄と隠岐国重栖庄について、桜井彦氏の論文を参照して確認したが、続いて同氏の論文「近衛家の荘園支配」(同『悪党と地域社会の研究』)、並びに川端新氏「近衛家荘園群の形成と伝領」を参照して、近衛家領目録にみえる、出雲国福頼庄と吉田庄、隠岐国知布利庄について確認する。
 福頼庄領家良頼卿が高階良頼、吉田庄領家宗成が高階宗成、知布利庄領家顕氏卿が藤原顕氏に比定できることは自分で確認していた。良頼は学問の家の出身で、歌人として知られる宗成は摂津国放出の領家でもあり、同じく歌人として知られる顕氏は備前国直嶋と豊前国豊前吉田の領家でもあった。
 良頼領福頼庄と顕氏領知布利庄・豊前吉田は高陽院領、宗成領吉田庄は冷泉宮領、放出は京極殿領であるが、顕氏領直嶋の所属は不明である。冷泉宮領とは小一条院敦明親王の娘で祖父三条天皇の養女となった儇子内親王の所領であるが、養女とした源麗子に譲られた。麗子は藤原師実の北政所で、師通の母であったため、その所領は師通の子忠実が、麗子没年の永久二年(一一一四)頃に継承・入手した。その中には儇子が嫁いだ藤原信家(関白教通の子)の所領や麗子に寄せられた所領も含まれており、すべてが一一世紀に成立した所領であるわけではない。
 保安元年(一一二〇)頃に成立した「執政所抄」には一二月二八日の冷泉院殿御忌日の負担が課された荘園がみえる。伯耆国笏賀庄は含まれるが、吉田庄はみえない。同様に一一月七日の高倉殿御忌日の負担が課された荘園に福頼庄がみえる。高倉殿とは後朱雀天皇と中宮嫄子(敦康親王の娘で藤原頼通の養女)の間に生まれた祐子内親王で、二才で母嫄子が死亡すると、養祖父頼通のもとで育てられ、長治二年(一一〇五)一一月に六八才で死亡した。高倉殿御忌日を負担する荘園は後の高陽院領が中心であり、祐子内親王領が藤原忠実をへて、忠実の娘で鳥羽院の皇后となり、その後院号宣下をうけた高陽院泰子に継承された(川端氏による)。高陽院領知布利庄はその負担を行っておらず、「執政所抄」以降に成立した庄園であろう。摂籙渡庄富田庄と重栖庄を含めても、現時点で出雲・隠岐で最も早く成立した摂関家領庄園は福頼庄とすべきである。
 高陽院領には頼通の娘で後冷泉天皇の皇后となった寛子=四条宮領も含まれている。頼通→寛子→忠実→高陽院と伝領されたものである、寛子領のうちの五ヶ所は養女となっていた前斎院禛子内親王(白河院の娘)に譲られ、その中に出雲国薗山庄が含まれていた可能性が高いことは前述の通りである。禛子内親王は保元元年に死亡したが、その所領が摂関家に戻ることはなく、薗山庄の本家については不明である。なお京極殿領は頼通領で代々の当主が伝領し、忠実領となっていた。

 

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