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2020年4月20日 (月)

女捕による所領没収

 益田惣領兼胤がその所領を没収される前提として、その妻千手の父益田兼長とともに、弟である兼久(兼胤の父)も早世したことが考えられるとの説を示した。それとともに、益田兼胤が後に妻となる千手に対する女捕を行ったことが、所領没収の原因となることを証明しなければならない。
 女捕とは、道路で行われる犯罪である路次狼藉の一つで、沙汰未練書には、検断沙汰の対象として、路次狼藉(人の物を奪い取ること)に続いて「追落」(人を追いかける)「女捕」(女性が道を通行しているときに、その女性を追いかけて誘拐してしまうこと)を上げている。( )内は保立道久氏「大袋と袋持」(保立道久の研究雑記)から引用した。その具体例として、仁治二年(一二四一)五月六日に本庄四郎左衛門尉時家の所帯を召し放つ決定がなされている(『吾妻鏡』)。小林次郎時景の訴えを受けたもので、時景の所従藤平太の妻女が路次を通っていた際に、時家が馬二疋を押し取り、馬の口付をしていた小次郎男を搦め取った事が、路次狼藉と認定されたためである。兼胤による千手への「女捕」もこの事例に類似していたと思われる。千手に付きそっていた関係者(男女両方あろう)とその乗物への狼藉を行った上で、千手を拉致したのであろう。
 これが犯罪と認定され、兼胤の身は「召人」として三浦介に預けられ、父兼久から伝領した所領を没収されたのである。ただし、母(兼久の妻)の所領や阿忍とその娘千手の所領は没収の対象外であった。西田氏が兼胤が所領を没収されたとの「龍雲寺三隅氏系図」の記述を考察から除外されたのは、兼胤が所領を譲られていたことと、女捕により所領が没収されるのかという二つのハードルがあったためであろうが、益田氏領が没収され他氏に与えられたことは疑う余地のない説(これを前提としなければその後の事態は理解不能となる)である。以上、三隅氏系図の記述を抜きに鎌倉時代の益田氏の動向は理解できないことを述べた。
  なお、路次狼藉と女捕については、野村育世氏「辻捕の風景』(『家族史としての女院論』所収)と櫻井彦氏「路次狼藉の成立」(『悪党と地域社会の研究』所収)を参照した。

 

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