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2020年4月24日 (金)

北野末社と生馬郷の地頭

 島根郡内でも文永八年の北野末社地頭「香木三郎入道」と生馬郷地頭「栗沢左衛門尉」については、関連史料がなく、その出自は不明としていた。今回編纂所「日本古文書ユニオンカタログ」で検索をすると、嘉禎四年七月一〇日将軍政所下文がヒットし、安堵された宛所に「源(香木)助経」と記されていた。福岡市の筑前麻生文書に残っているが、「麻生」とは問題発言しかしない御仁の実家であろうか。それはさておいて『鎌倉遺文』と『福岡市史』を確認したが、そこに掲載された関連文書から源助経を「香木」氏に比定した根拠は得られなかった。安堵された所領は「香月郷」であり、後に香月氏を名乗っており、たまにある編纂所データベースの「誤植」と分かり、落胆した。中世の香木氏の関連文書は文永八年結番帳のみである。
 気を取り直して地名としての「香木」を捜してみた。検索してヒットするのは静岡県静岡市(駿河国)北端にある「香木穴」のみであった。「香木」では素材しかヒットしないので、出雲国に入部した東国御家人の出身国毎に検索した結果である。歴史民俗博物館の「日本荘園」データベースでも該当なしである。当て字の場合もあるので「柿」で調べると、近江国に「柿御園」があり、『阿波三木家文書』には正元二年正月一一日に「柿平四郎大夫守貞」に所領を宛行う文書があるが、東国御家人レベルのものではなさそうである。とりあえず「嘉木村」が新潟市内に存在するので、こちらの方が脈がある気がする。三刀屋氏は越後国佐味庄の出身であった。
 同じく栗沢氏については、貞和二年五月日得江九郎頼員軍忠状(得江文書)に、越中国凶徒井上宮内権少輔俊清、新田式部権少輔貞員、栗沢弾正忠政景らが能登国に入り、富来院内木尾嶽に楯籠ったことがみえる。富山県の栗沢はヒットしないが、越後国(上越市板倉区)に富沢村が存在したことが確認できる。戦国期には信濃国内に「栗沢藤兵衛」の存在が確認できる(ユニオンカタログデータベース)。
 ということで、栗沢氏は越後国出身の可能性が高く(50%以上)、香木氏は越後国以外の関係する可能性のある情報はない(可能性50%未満)。

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