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2020年3月29日 (日)

防災ハザードマップの活用

 地形の状況と災害の程度について素人にはイメージがつかみにくいが、近年では各地で防災ハザードマップが作成されていることを思い出した。さっそく松江市と出雲市分を閲覧してみると、近年の洪水で最大なのは、一九七二年七月前半(9日~14日、出雲市版)のもの(6日分の斐伊川流域平均の総雨量が538mm)で、次いで二〇〇六年七月半ば(17日~19日)のもの(同378mm)である。前者は出雲市版(こちらが情報が詳細)によると一八九三年以来の宍道湖の氾濫をもたらしたとする。とここまで書いて、年次の表記が元号なのは非常にわかりずらい。近年の事のみを扱うならば元号でも可だが、長い時期を対象とする行政文書は西暦を基本とし、必要に応じて元号を付記する形にすべきである。中世を主に扱う本ブログの記事でも、西暦で表記しないと読み手には理解しにくいことを確認させられた。
 床上(全壊・半壊を含む)、床下浸水の状況は、前者が松江(5900と14485)、出雲(2085と2652)、後者が松江(212と1215)と出雲(135と70)と、斐伊川下流である松江市の被害が大きい(前者では四倍、後者では七倍である)。竹矢(実際はその対岸福富町)新阿弥陀寺が一四世紀半ばに水損により竹矢の高台に移転していたが、48時間(2日分)総雨量が斐伊川流域516mm、宍道湖・中海地域505mmという想定では0.5m以上1.0m未満の浸水地域が福富町で広範囲にみられる。前者の際の空中写真、地図をみた際には、当該地域での浸水はほとんどなかったと理解していたが、もう少し降水量の密度が高いと浸水することがわかった。ただし、もう一つのケース(意宇川流域全体の24時間雨量589mm、ピーク時の1時間に129mmの場合は竹矢側(八幡町)のみで、北岸福富町では冠水していない。
 出雲市版では計画規模(斐伊川流域の48時間の総雨量399mm)と想定最大規模(同516mm)に分けて掲載されている。これにより各地域の高低差を確認できるし、大きな川の氾濫とともに、傾斜地で土石流が発生することにともなう洪水があることも確認できた。過去の記録で神社が流されたり、洪水により移転したのはこの二つの理由のためであった。また、斐伊川上流のダムの建設と下流域での河川改修により、一九七二年の洪水でも流路が変化するまでの被害は発生していない。一面では進歩であるが、問題はこの想定を超えると被害が飛躍的に拡大することである。近世までは人々の生活は洪水との共存を前提とし、洪水多発地域には住居はなかったが、現在では湿地帯を埋め立てたりして居住地にしている。松江市内の大橋川両岸地域がその典型であり、一面では災害に対してもろくなっている。都市は地下施設も多いが、近年のタワーマンションの被災にみられるように、洪水には極めて弱く、発電機能が失われたりもしている。
 前の記事で、荒野の開発には、洪水に遭遇しやすい湿地帯の克服が必要な地域と、洪水の危険性は低いが水供給が困難で、灌漑施設が必要な地域があることについて述べたが、自然地理学の知識がさほどなくても、ハザードマップを参照することで、議論が可能であることが確認できた。

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