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2020年1月17日 (金)

神社の名称変更3

 文永八年結番帳には「佐草社一三町一反六〇歩」がみえ、本来の大草の主役であった佐久佐命は国衙のあった大草郷や神戸と郷庁のあった大庭の地ではなく、西端の佐草に祀られることとなった。南北朝期には室町幕府と深い関係を持つ安国寺が佐草社に対して一定の権利を有している(安国寺文書)。そして戦国期には佐草の地に大原郡潮から八重垣神社が進出し(実はこの点についても、伝承以上のものではない。)、八重垣神社は神主佐草氏(その一族は出雲大社神官であった)を通した出雲大社との関係をテコに毛利氏に訴え、佐草社への安国寺の支配をはねのけていった。その意味で、風土記研究者の見解とは異なり、八重垣神社が佐久佐社を名乗るのは根拠がないわけではないが、惣社・八重垣両社ともに風土記時代の佐久佐社とは全く性格の異なる神社になってしまっている。「伝統を継承する」とはよく聞く言葉であるが、実態は変わっている。
 古ければ古いほどよい。確かに古きものほど現在に残る確率は低くなり、希少性は高い。経済学的には希少性が高いと数字で表示される価値(価格)も高くなる。ただ、それと現代における本質的価値は全く別であり、現代に生きる私たちが何を受け継ぎ発展させていくかにより、古さに関係なく歴史的価値が定まってくる。価値は外から与えられるものではなく、各時代の人々が選んでいくものであるが‥‥。
 日本社会では明治以降の近代化の中で、それまで培い高めてきた文化と新たな西欧文化それぞれの到達点を対決・吟味しつつ、新文化を導入する作業が十分に行われなかった。これは他のアジア地域と比較しての程度の差の問題であり、一方ではそのような路線を採ったために、アジアの中でいち早く近代化を達成することが可能となったともいえる。
 「歴史に学ぶ」とはよく使われる言葉であるが、その「歴史」とは何であろうか。現在の保守的とされる人々が依拠するのは、近代の天皇制に代表されるように、前代までの達成を忘却し、古代の特定の時期と近代を一直線に結びつけて新たに作り出されたものであることが多い。それも伝統であるが、それとは明らかに異なる伝統が大半なのである。そして近世社会における達成は近代社会が進行する中でそのほとんどが否定・忘却されていった。それとともに社会の中にあった本来変化しにくい部分もしだいに変容していった。(以下は今回追加)「嘘つきは(歴史の)泥棒の始まり」、この言葉を忘れてはならない。

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