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2020年1月 3日 (金)

女性の系譜情報2

 有綱の死亡記事はその没年の『中右記』が残っていないことを述べたが、宗忠の従兄弟となる、有綱の嫡子実義が嘉承元年九月一一日に四〇才で死亡したことについては、翌一二日条に記載があり、その経歴を述べるとともに、「一家之間殊所悲歎聞也」と結んでいる。この時、宗忠自身は四五才で、父宗俊が一七才時の誕生である。とすると宗俊は四兄弟の末弟有定よりも三才年少であり、宗忠の母は四人の妹である可能性が高い。
 一方、有綱の娘と源義家の間に嫡子義忠が生まれた時点(一〇八三年)で、有綱の嫡子実義は一七才である。義忠の母となる女性は、実義と年の近い姉妹であろう。有綱と実義の名前との間に共通する字はなく、姉妹の夫となった義家は実義よりも一八才年上である。実義は祖父実綱の「実」と義家の「義」をその名に付けた形となっている。実義が元服した時点で、その姉妹が義家の室となっていたのではないか。とすると、義家の室は、実義の姉である可能性が高い。
 以上のように、日野氏の系図には情報が残らない女性が、その子との関係で生年などの推定が可能となり、生年から、兄弟・姉妹間の位置を推定できる。為義は母の実家日野氏と、為義の子義朝は母の実質的保護者であった藤原清隆(母の父忠清が出家したため)との関係が強かった。頼朝の同母妹である坊門姫が父が死亡した平治の乱後、清隆・光隆父子のもとで育てられたことは、前述の通りである。

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