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2020年1月27日 (月)

嘉応元年の播磨守?3

 出典は『兵範記』であるが、たまたま最近、増補史料大成本五巻中、第二巻を除く四巻を入手したので確認した。『兵範記』は戦前の二巻本を国会図書館デジタルで閲覧できるが、収録されているのは保元三年末までである。大成本は戦後の刊行であり、著作権の関係で個人宅のパソコンでは閲覧できない。第一巻は国会版とだぶるが、今回ほぼ新品状態のものを入手した。大成版第三巻は保元三年から始まっており、これで未活字部分を除けば確認できるようになった。歴史資料を専門とする業者ではなく、五冊中一冊がないことで破格の値段となった。平成一〇年版で五冊セットで二七〇〇〇円(税別)であったが、届いた本には八〇〇〇円の値札が付いていた。それでも売れなかったためか、半額の四〇〇〇円で購入できた(税込、送料別)。閲覧するには非破壊型スキャナーでデジタル化した方が便利であり、機会をみて行いたい。
 ということで当該部分をみると、八幡臨時祭の記述であったが、その中で天治二年(一一二五)の先例が引用され、そこに「播磨守基隆」とあった、嘉応三年ではなかったのである。表の作成者は飯田悠紀子氏であるが、なぜ勘違いしたのか不明である。念のため天治二年の播磨守を確認してまたびっくり。播磨守は基隆ではなく、藤原家保であり、基隆は当時伊予守であった。基隆が播磨守であったのは保安二年(一一二一)途中までであった。「大治二年」を写し間違えたかとも思ったが、その年も播磨守は家保であった。「嘉応元年の播磨守は不明である」、ただそれだけの確認のため書き始めたが、途中では過去に述べた事だけでなく、新たな事実にも気づかされた。なお、天治二年はまとまった形の日記が残って居らず、空白の年次でもある。『大日本史料』の概刊分は保安三年正月から四月までを収める第三編之二九であるが、保安二年正月以降を収め第三編之二五が刊行された二〇〇二年の一二年後である。当該巻の予想刊行年次は二〇五〇年頃であろうか。
 『大日本史料』も紙媒体でなくなれば、刊行のスピードは上昇し、過去の補遺の追加も楽になるような気がする。一定の会費を払えば閲覧可能とした方がベターか。現在は各巻の最新刊のみは閲覧ができないという形で売り上げに配慮しているのだろうが、紙媒体でなければという人がいるのだろうか。それは論文集も同様であろう。特に複数の執筆者の論文を収めた記念論集の場合、所蔵館での複写は一本の半分までで、不便なことこの上ない。出版社側の事情もあろうが、一定の負担で論文毎に閲覧・ダウンロードできる仕組みができればと思う。

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