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2020年1月21日 (火)

鳥羽院の高野詣

 治天の君である院が行った熊野・高野詣はよく知られているが、とりわけ熊野詣は白河・鳥羽・後白河・後鳥羽院が計九七回行ったとされる。保安元年(一一二四)一一月には熊野詣から帰った白河院が、藤原忠実の内覧を停止し、勅勘処分を下した。その背景には鳥羽天皇への忠実の娘勲子の入内問題があったとされる。
 保安四年に子崇德が天皇に即位したことで、二一才の鳥羽上皇は新院と呼ばれるが、翌天治元年一〇月二一日から一一月二日にかけて初の高野詣を行っている。その様子は閑院流藤原実行(待賢門院の異母兄、三条家)の日記により知る事ができる。右大臣花山院家忠以下の公卿と院近臣が扈従し、検非違使源為義が供奉している。時の出雲守は藤原憲方で父為隆が知行国主であったが、両人とも白河院とともに都の留守を守っていたと思われる。夜の関白と言われた為隆の同母弟顕隆も同様であったが、その嫡子で出雲守経験者であった権右中弁顕頼は扈従している。大治三年末に為隆・憲方父子と相博する藤原基隆・経隆父子は周防守と知行国主であったが、大膳大夫基隆が扈従している。
 その参加メンバーで目立つのは正月に従三位に叙せられ公卿となった藤原経忠とその子三人(右馬頭忠能、民部少輔経親、中務少輔経雅)が扈従していることである。経忠は師信の子であるが、師信は寛治五年には内蔵頭に加えて播磨守を兼ね、同七年には殿上人となり、白河院最愛の娘郁芳門院の院庁別当ともなっている。子経忠は堀河天皇の外戚である閑院流藤原氏公実の娘実子をその室としている。実子は待賢門院璋子の同母姉で、堀河と公実の同母妹の間に宗仁(鳥羽)が生まれると乳母となっている。前述の忠能・経親・経雅はいずれも実子を母とする。経親と経雅の間には同母兄弟信輔がおり、新院殿上人であったが、今回は扈従していない。他の兄弟と異なり、その名は父経忠ではなく祖父師信から一字を取っている。四人の中では子孫が最も繁栄し、坊門家と水無瀬家が生まれている。また同母かは不明だが経忠娘が鳥羽院近臣藤原家成との間に生んだのが、鹿ヶ谷の陰謀で処刑された成親である。
 叙爵前の扈従メンバーの中に「六位蔵人蔭子藤原資憲」の名もみえている。以前に述べた際には大治二年正月に蔵人となっていることが確認できるとしたが、二年余り早まることが確認できた。母親が従姉妹である源為義(母は日野有綱の娘)は永長元年(一〇九六)の生まれであるが、資憲(有綱の同母弟有定の娘が母で、父は有綱・有定の同母兄有信の嫡子実光)もほぼ同時期の生まれである可能性が大きくなった。異母弟資長と同じく一八才で蔵人に補任されたとすると、資憲は永長二年以前の生まれとなる。

 

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