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2020年1月17日 (金)

神社の名称変更1

 明治初期の神社の名称変更について述べた文を掲載する(歴史の実像と虚像ー近隣の例から、『松江商業高校研究紀要』二〇〇八年三月)。
 国引き神話と関わりの深い八束水臣津野命を主祭神とする出雲市西園町の長濱神社は、近世には妙見社と呼ばれていたが、明治初期に古代の「出雲神社」に名称を変更したいとの申請を出している。それに対する藩(廃藩置県以前)からの返答は、出雲神社は「式社」(延喜式に載る式内社の意か)であり調査中で、来春についてはとりあえず「長濱神社」と名乗るようにというものであった。正式回答の文書は残っていないが、そのまま現在に至っている。
 「昔の名前で出ています」とは歌の題名であるが、松江市内の古い歴史を有する神社のいくつかを回り、且つ関係史料を調べてみての感想がこれである。歴史は後からみるものにとっては一瞬でたどることができるが、実際には大変長い時間が経過し、その間継続的に続いたものは家・神社・仏閣でもほとんどなく、栄枯盛衰を感じるだけでなく、名称・場所の変更が変わりゆく歴史の証言者となる。ところが、歴史をたどるものは、あたかも過去と現在を一直線に結びつけ、ずっとその名称でその場所にあったとして歴史をつくってしまうことがある。善意に解釈すれば、歴史は起承転結があって初めてアピールするわけで、起と結しか残っていないので、承・転を想像し空白を埋めストーリーを完成するのであろう。しかし次の世代のものは、それを事実と受け止めいつしか虚像が実像になっていく。
 幕末から明治初年にかけて、出雲国の神社の中にはそれまで使っていた名称・祭神を、みずからがルーツと考える風土記(8世紀)や延喜式時代(10世紀)の神社名に変更するものが多かった。この間神仏習合が進み、神社の祭神そのものも大きく変わってしまったにもかかわらず(筆者はこれを正常な進化・深化と評価する)‥‥。個々の神社が直面する深刻な問題へ対処するために名称や祭神を変更するのは当然であるが、幕末から明治にかけての変化はこのような「変化」と同列に論じることができないものである。
(補注)この時期の神社について論じるためには、保護者としての藩の崩壊と新たな国家神道化や宗門改制度に代わる氏子制度と戸籍の問題を併せて論じる必要があるが、大変大きな問題であり今後の課題としたい。

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