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2020年1月14日 (火)

大芦浦について7

 大芦浦の天満宮を考える上で避けて通れないのが大埼神社との関係である。風土記時代の同名の神社が祭神も変化せずに同じ場所で存続し続けた可能性は極めて低いが、風土記研究者には非現実的でおめでたい人が多いようだ。北野姓の多さからみれば天満宮の所在地は楡木となるが、その場所は楡木東端で浜に隣接する地点であった。それと、北垣へ遷った天満宮の遷宮・祭礼に関わったのは楡木ではなく、浜・小具と北垣内別所の人々であった。天満宮が風土記時代の大埼神社の場所(再検討中)に隣接する形で勧請され、大芦浦の神社の中心となったと考えるべきかもしれない。そして、天満宮の衰退の背景としては、尼子・毛利の合戦の舞台となったこととともに、しだいに北野天満宮領としての実態が失われてきたこともあろう。中世では天満宮が主で大埼神社(明治以前は国主大明神)が従であったのが、天満宮の衰退により、大埼神社が浮上してきた可能性もある。
 ということで、新たな情報を求めて『島根県神社明細書』と『島根県寺院明細書』の内容を確認することとした。現在は島根県総務部総務課が『島根県宗教法人名簿』を発行している。最新版は二〇一八(平成三〇)年度一二月三一日現在版であるが、その大元となる台帳である。両明細書には明治初年から戦後間もない時期までの記載がある。明治三年に新たな制度が生まれ同五年に作成され、戦後の新制度までを記述している.現在の台帳の前のもので、県立図書館が所蔵している。
 『神社明細書』をみると、大芦浦では大碕(埼)神社、大碕(埼)川辺神社と天満宮のみ掲載されていた。将軍神社が含まれていないのが不思議である。明治五年以降に登録されたのだろうか(4で明治一六年一〇月に再創立・登録されたことを述べた事を失念していた。翌一七年に県が明細書の提出を求めており、それを機に登録の動きを強め認められたのであろう)。『八束郡誌』では両大埼神社(村社)と将軍神社(無格社)が明細帳登録神社とされている。垣之内には素戔嗚命を祭祀とする素鵞神社があったが、明治七年五月三〇日に廃社となり、村社大埼川辺神社の本殿に合祀された。そのため、川辺神社の祭神は伊邪那美(伊弉冉)命と素戔嗚命が記される。これに対して天満宮は明治五年には雑社(無格社)の扱いとなり、後に大埼川辺神社に合祀され境内社となった。その時期が『郡誌』では大正六年と記されていたが、『明細帳』では判読が微妙だが大正一二年七月九日に合祀されたと読める。素鵞神社は本殿に合祀で、天満宮は境内社の扱いとなった。川辺神社の境内社には何の表示もなく、看板でも触れていなかったが、ようやく天満宮が確認できた。

 

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