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2019年12月 1日 (日)

建暦二年二月の前出雲守

 建暦二年二月 日後鳥羽院庁下文には「前出雲守藤原朝臣(花押)」がみえ、『鎌倉遺文』では経賢と注記があり、井上寛司氏作成の出雲国中世史史料目録でも、これが記載されている。経賢は吉田資経の異母兄経賢であろうが、その花押は異なっている。同文書は『大日本史料』四編一一冊にも収録されているが、前出雲守の序列の一つ後の中宮権大進藤原朝臣が経賢であった。要は『遺文』収録時に誤って注記がずれてしまったのである。これ以前に出雲守であった事が確認できる藤原家時と藤原光実について確認したが、建暦二年二月時点で家時は少納言、光実は右衛門佐であり、該当しない。という事で、それ以外の人物であろうか、現段階では比定はできない。知行国主源有雅の嫡子資雅の母は藤原範光の娘であり、範光の子光実も出雲守となっており、その関係者の可能性はある。
 別の箇所でも述べたが、『鎌倉遺文』は史料の存在を広く周知するためのもので、文書名や時期、人名の比定になお課題を残している。問題はバトンを受け取った側がより高い精度の検討を加えた上で史料集や論文に掲載する事だが、それをしていないものが多い。それでは研究の水準に達したものとは言えない。

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