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2019年12月17日 (火)

新阿弥陀寺から観音寺へ2

 正平年間の新阿弥陀寺の浸水と丘陵上への移転について、斐伊川東流に伴う洪水で宍道湖・松江地域が浸水した可能性を指摘した。たまたま佐伯徳哉氏の最近の論文で正平一六年に西日本一帯を襲った地震に伴う津波の影響ではないかと述べられていたので確認してみる。ウィキペディアには『太平記』の記事が引用されていたが、その他の史料は手元にある『日本災変通史』で確認した。
 地震に関しては正平一六年・康安元年(一三六一)の二月の京都周辺の記事がある(瑠璃山年録残篇)が、「正平地震」とは六月後半から一〇月半ば過ぎまで続いた地震を言う。基本的には南海地震であり、これに連動して東海地震が起こった可能性もあるようだ。この場合、津波に襲われるのは太平洋側並びに瀬戸内地域である。一方、記録がある近世以降の松江地域の津波は、日本海側の地震の結果島根半島北側と南側の一部で観測されており、夜見が浜半島を越えた内海での津波は確認されていない。ということで、佐伯氏の説が成り立つ余地はほぼないと断言できる。あるとすれば島根・鳥取沖の日本海で大地震がおこった場合のみであるが、その場合は浸水以前に建物の倒壊などの被害が想定され、潮が満ちて敷地を移動したとの記載に合わない。ちなみに幕末の南海地震では松江地域は震度5強、出雲大社周辺では6強で、神社関係の建物が倒壊しているが、松江における津波の報告はない。
 一方、豪雨については、近代以降浸水が確認されたのは松江市北岸は朝酌以西、南岸は矢田以西であり、竹矢と対岸の福富では確認されていない。ただし、こちらは松江地域の環境が大きく変わり、近世以降の治水対策の進展があり、中世には現在の大橋川が潟湖のような状態にあった(大山寺縁起絵巻)ことと、治水対策の未整備により浸水の程度がより大きく広範囲に亘った可能性が十分ある。当然のことながら、上流域の豪雨だけでなく、松江地域そのものの降水量が増すことによる浸水も想定される。ということで、現時点では豪雨による浸水が最も妥当な見解である。
(付記)洪水の範囲を「以東」と記していたのを「以西」に修正。また、前近代においては、浸水は当然あるという前提で安全な場所に住居が設けられていたが、時にその想定を超えた浸水があった。

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