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2019年12月19日 (木)

上来島村杉戸金屋子神社棟札1

 島根県立図書館所蔵「寺社史料」には数多くの新出棟札が含まれている。個々の詳細について長谷川博史氏『中世山陰地域を中心とする棟札の研究』(ネット上に公開されている)に譲るが、論者がこの史料に出逢ったのは偶然であった。教育センターで県内の同和問題に関する史料の収集を担当していたところ、県内の某資料館から関係史料が持ち込まれた。大正年間に島根県が融和事業に取り組んだ際の資料であった。一九一〇(明治四三)年の大逆事件を受けて、政府は被差別地域への社会主義への影響を恐れ、全国調査をし、融和事業を開始した。島根県ではそれに次いで一九一七(大正六)年にも全県の調査を行い、それを政府に『社会改良の栞』との題名で報告している。関係史料をみると、明治四三年調査は政府の指示によるものだったが、島根県ではそれ以後も連年実態調査を行っていた。とりわけ石見部東部のある郡と出雲部中部のある郡については詳細な郡役所の文書が残されていた。
 戦後の島根県総務部には寺社係があり、『鰐淵寺文書の研究』で知られる曽根研三氏が長らく担当していた。センターに持ち込まれたのは曽根氏のもとにあった史料で、融和事業関係は慎重な扱いが必要なため、センターに持ち込まれた。某資料館では、曽根氏が居住していたことから史料の寄贈を受け、目録カードを作成していた。その目録カードの内容を当方がエクセルに入力して全体像がわかるようにした。そうした中、融和事業関係史料を除く曽根氏の史料は県立図書館で保管され、寺社史料との名前で登録された。入力時期はエクセルのファイルから一九九八年であった。
 二〇〇〇年になり、自宅に九州大学服部英雄氏から電話があり、被差別民の問題も含めて、現地調査に基づく新たな中世史像を構築する科研に参加せよとの要請であった。その科研で服部氏が各県に保管されている地字調に基づくデータベースの構築の必要性を説かれた。実際に大学院研究科・服部研究室の卒業生で愛媛県の資料館に勤務していた東昇氏(現京都府立大学)が愛媛県のデータベース作成を行っていた。字調とは地租改正によりそれまでの字に代わって地番がふられたことを受けて、市町村に作成・報告させたものである。現在の島根県総務部に残っているのはごく一部であるが、社寺史料にはほぼ全県に渡って明治九年と一六年の字調が含まれており、県立図書館で出雲部の半分程度を写真に撮った。石見部のものもみたが、出雲部を含めて紙が虫食いでくっついており、撮影ができないものもあった。
 その中で、曽根氏の本務であった寺社関係史料も閲覧してみたところ、これまで知られていない神社の中世の棟札が大量に含まれていることに気づいた。二〇〇六年から松江市史編纂事業が始まり、中世史部会の委員となったが、県立図書館所蔵の旧島根県史編纂資料・近世資料編ならびに、寺社史料から未知の史料を発掘するため、休日を利用して県立図書館に通い、ワープロソフトへの入力を行った。寺社史料には長谷川報告に収録されていない個別神社がランクアップのため提出した申請書も多く含まれ、その中にも棟札が引用されていた。一方では井上寛司氏も近世資料(村明細帳など)の中から棟札の発掘を行われていた。その結果、『松江市史』には新出史料として多くの棟札が収録された。その中には、「神在月」の初見となるものや、城下町広島の建設に関わった平田佐渡守の不明であった実名を記したものがあった。

 

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