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2020年1月 1日 (水)

女性の系譜情報1

 何度も述べているように、平忠盛の正室藤原宗子(以下では父宗兼の姉妹宗子と区別するため池禅尼と呼ぶ)は藤原宗兼の娘としてみえるが、その母については記されていない。宗兼の室として知られているのは藤原(日野)有信の娘のみであるが、宗兼の子で母が有信の娘と記されているのは嫡子宗長と興福寺権大僧都となった覚長のみで、高階泰重との間に泰経を産んだ女性についても母は記されていない。系図から得られる女性に関する情報の多くは、男性Aの母親が「B女」であると記しているものであるが、系図でBを調べても娘は記載されていないことが多い。『尊卑分脈』で有信をみても宗兼の室となった娘は記されていない。藤原有定は実綱の四男で、同母兄に有綱、有俊、有信がいたことはわかるが、『中右記』の記主藤原宗忠の母となった姉妹についても記載がない。
 『中右記』に有定の死について具体的に述べられていたことは前述の通りである。有綱(その娘が源義家との間に義忠、義国、為義を産んでいる)の死亡時期分の『中右記』は残って居らず、有信も『中右記』目録中に「左中弁有信卒去、〈六十、〉仍籠去〔居ヵ〕」とあるのみである(これに該当する時期の本文は残っていない)。有信の子資光の死については感慨を含む具体的な記述があったことは前述の通りである。残る有俊については、康和四年一月六日条にその具体的経歴を述べた死亡記事がみえ、宗忠が籠居したことが述べられている。有定の死亡も有俊からもたらされ、それを知った宗忠は籠居していた。有俊に関する情報は『中右記』に何度も述べられている。以上の点から、宗忠の母は有綱、有俊、有信、有定の同母姉妹=源道成の娘であると断定してよかろう。
 自身では池禅尼の母を明記した系図は未見であるが、有信の娘であると記す文章はネット上ではあるが見たことがある。その可能性は高いが、明証が無いと言われればその通りである。従来は禅尼の父宗兼の姉妹である宗子が藤原家保との間に産んだのが家成である点のみ強調されてきた。ただし、宗兼と宗子の母が同一であるかはこれも情報がない。禅尼の兄弟宗長が待賢門院判官代となり、一方では摂関家家司となっている点と禅尼が崇德天皇の子重仁の乳母となった点は、禅尼の母が日野有信の娘であることを示していると思われる。日野氏は代々摂関家家司となっている。日野実光と有定の娘の間に産まれた資憲は崇德院の側近であるとともに、摂関家とも深い関係を有していた(樋口健太郎『中世王権の形成と摂関家』)。禅尼の嫡子家盛について、父方の姉妹宗子と藤原家保の子家成との関係が指摘されるが、どうであろうか。家保の嫡男は家成の同母兄顕保であった。

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