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2019年11月23日 (土)

伊秩庄は飯石郡内

Tyukinnsei 1271    

 神西庄の問題を考えたのは神門郡内で神西新庄の南にあったとされる伊秩庄について考えたため。『島根県の地名』「伊秩庄」の項では出雲市乙立町から佐田町一窪にかけての神戸川上流沿いの地域に比定されている。伊秩城は佐田町一窪田・栄の丘陵上に比定されている。問題は文永八年の地頭来嶋松助入道が飯石郡内の来嶋郷の地頭でもあることである。また、一窪田よりも神戸川下流にある反辺から分岐する須佐(波多)川流域の須佐郷は中世は飯石郡内であったとされている。これを踏まえると、伊秩庄は神門郡ではなく飯石郡内で、その領域は一窪田よりはるか南の志津見湖あたりまで広がり、そこで来嶋郷に接していたのではないか。佐田町一窪田、八幡原、反辺、東村、高津屋、大呂、上下橋波、吉野あたりがその庄域であり、伊秩城は三刀屋郷が飯石郡の南端に位置し大原郡と境を接していたのと同様に、飯石郡の南端に位置する一窪田内に築かれたのではないか。乙立については微妙だが、塩冶高貞の弟時綱が乙立を支配していたことからすると、塩冶郷内であった可能性もあるのではないか。
 文永八年の出雲国内の庄園公領の状況については、過去に『竹矢郷土史』や『出雲塩冶誌』の中で作成した表を掲載したが、その後、所在地が不明であった所領の場所が判明したこと等を反映させた最新のものを作成し、クリックして閲覧できるようにした。併せて、近世初頭と比較した表もアップした。公領と庄園の区分は、建長元年の大社遷宮注進状に基づいた。大原郡大東庄は公領に入れている。これを庄園に入れると、大原郡は能義郡以上に庄園の比率が高くなる。大東庄は宝治の正殿造営でも造営米を負担しており、どのような性格の所領であろうか。
  現在は、メガエッグのオプションを利用しており、HPの容量が限られているが、来年中には余裕のあるサイトにアップし、充実させたい。

 

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