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2019年10月 1日 (火)

園山庄領家吉田経房と五辻斎院

 園山庄の領家が吉田経房であることは確認できるが、本家については、経房譲状の前欠部分に園山庄が記されていたとみられること、経房孫で嫡子とされた資経の譲状には他の庄園と異なり、単に園山庄とのみあることで不明である。そうした中、経房と斎院頒子親王の関係を確認したい。
 頒子親王は鳥羽院と閑院流藤原実能の娘春日局(美福門院女房)との間に、久安元年(一一四五)に生まれている。誕生年がわかる子としては最年少である。承安元年六月二八日に斎院となったが、病気により八月一四日には斎院を退下しており、以後は前斎院ないしは御所の場所から五辻斎院と呼ばれた。
 文治二年八月二一日前斎院庁下文には別当右衛門権左平朝臣以下が署判を加えているが、その多くは吉田経房の関係者である。署判順に、別当平棟範は平範家の子であるが、経房の妻は範家の娘である。左京権太夫藤原光綱は経房の弟、勘解由次官兼皇后宮権大進藤原定経は経房の嫡子、前安房守藤原有経も在任中の安房国知行国主は経房であり、何度も経房の使者として派遣されたことが確認できる(『玉葉』)。正治二年二月二八日吉田経房処分状にみえる庄園でも、周防国石国庄、河内国高瀬庄、安房国群房庄内広瀬郷、下野国大内庄が、斎院領、前斎院領、五辻斎院領と記されている。その一方で、本家を記さず相伝私領とのみ記す常陸国吉春牧もある。
 五辻斎院領であった紀伊国南部庄は、伊勢斎宮守子内親王(1123~41)領から父鳥羽院と母春日局を経て五辻斎院頒子内親王領となった。守子内親王の父は白河院の異母弟輔仁親王である。守子の異母姉怡子女王も賀茂斎院(1133~59)をつとめている。
 前に藤原光隆と斎院範子内親王の関係をみたが、光隆とその父清隆は平範家を通じて吉田経房ともつながっていた。経房は上西門院と建春門院の別当を務めていた。建春門院滋子は上西門院女房であったこともあって、その女房には上西門院女房から遷ってきたものが多い。これは滋子自身が待賢門院・崇德院流に属していためである。

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