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2019年10月13日 (日)

近況から2

 台風一九号による被害は甚大で、関係者の御労苦は大変と推察する。一五号に引き続いて被災された地域はさらに大変だが、その反省から今回は行政の対応が改善した。ただ、避難を勧告されても逃げることができない人がおり、行政による根本的な対応が求められる。
 一九五八年の狩野川台風と昨年の七月豪雨の倉敷市の被害をネットで確認した。狩野川台風は途中、当時の最低気圧の記録を更新する八七七ミリバールを記録したが、上陸前に勢力を急激に弱めたため、今回と比べて被災した地域は限られた。とはいえ、上陸した伊豆半島は六〇〇名以上の死者が出て、大変な被害であったようだ。
 自己の体験では一九七二年の豪雨で宍道湖があふれたが、国道九号線の南側ではごく一部が浸水したのにとどまった。ただし、松江城近くには当時の床上浸水のレベルが表示してあり、大変であったと思われる。部活の大会で西部江川沿いの桜江町川戸の旅館に泊まったが、七二年の被害は大きく、JRの駅にやはり浸水レベルが表示されていた。
 一九八三年の西部の水害では、浜田市長沢町の下宿が床上浸水となったが、自身の部屋は二階であった。勤務先の高校の校舎では床上浸水はギリギリセーフであったが、教員住宅は一部がつかって車を処分せざるをえない人も出た。益田川が氾濫し、益田市の高校では一階天井まで水につかった。三隅町の水害も大変であり、向野田の町営住宅付近もその時は天井近くまで水につかったそうだ。五年後の一九八八年にも三隅町で水害があり、その際は担任している生徒と被災した生徒の居住地へ行き復旧の手伝いを行った。
 一九八三年の際には長沢は以前は水田が多く、ここまで水につからなかったことを聞いた。二〇一八年七月の豪雨で岡山県倉敷市真備町で五一名が死亡し、小田川流域の住宅の多くが水につかった。この地域は一〇年に一度程度の頻度で水害に襲われていたが、過去の教訓はいかされず、なんとかなるのではと思った住民が多かったことが、事後アンケートから指摘されている。今回は雨量そのものは必ずしも多くはなかったが、岡山大の研究者が作成した報告書をみると、一九世紀末までは被災地域の大半には住宅がなかった。人々は過去の被害を踏まえていたのである。それが上流のダムの整備と人口増により水害危険地域が次々と住宅地に変わってしまった。もっと上流のダムを建設すればよいとか、土手を高くすれば良いとの妄言をはく無能な政治家が多いが、それは問題解決にはつながらない。今回の台風により過去の記録が更新され、上流のダムによる放流が相次いだ。豪雨の範囲が際立って広かったことによるが、力ずくの対策は弱者の状況をさらに悪化させるだけである。

 

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