koewokiku(HPへ)

« 囲碁の話題から | トップページ | 牧の方の娘の結婚相手 »

2019年9月24日 (火)

尚々書の解釈

 永禄六年三月二三日津森幸俊書状(富家文書)には本文とともに尚々書が加えられている。本文では本庄之儀について富氏から連絡を受け、尼子氏に披露したことと、隠新の雑意は必定で、村民・足若とともに討ち果たしたとする。次いで、その他の家来中は隠豊が掌握していることを述べている。本庄の儀が隠新の雑意であることは明白で、長海庄を支配していた隠岐氏の一族の中に毛利方に現形するものがあったが、具体的行動に出る前に鎮圧されたことになる。長海庄は本庄と新庄に分かれており、隠新は隠豊のもとで本庄を支配していたのであろう。村民とは天文一三年九月一七日に隠岐豊前守(五郎右衛門尉)豊清が長海新庄内清安寺に所領を寄進した際に、合わせて出された隠岐氏家臣連署状の署判者として見える「村上民部左衛門尉幸歳」であり、足若も隠岐氏家臣であろう。隠新については署判者の三番目にみえる「隠岐右衛門尉清慶」を当主豊清と区別して使われた略称であろう。尚々書では上記の本文を補足して、朝山二郎左衛門方も本庄に同意したことがわかり、切腹させたことを伝えるとともに、富氏に感謝の意を示している。
 極めて、明解な文章であるにもかかららず、『富家文書 本文編』では不可解な解説が付けられている。すなわち、「本庄」が『塩冶旧記』に見られる塩冶八幡宮神主家である可能性もあると、最初に述べ、次いで隠岐氏の所領長海本庄を指す可能性もあって明らかではないとする。後者であることは一〇〇%断定できるにもかかわらず、根拠を示さずに、第一案として塩冶八幡宮神主本庄氏である可能性があるとするのである。永禄五年一二月には、尼子氏のもとを離脱して上洛していた佐陀神主朝山氏一族の日乗が大社関係者と毛利方の仲介を行っていることが分かり、尼子氏は朝山氏に警戒心を抱いていた中での情報提供であり、謀反が大きなダメージにならないように迅速に対応したのだろう。『富家文書 本文編』は文書を翻刻紹介する貴重な書物であるが、その他の解説文(斐伊川の流路に関する地図にも根拠がない)にも誤りが含まれ、残念ながら学術的レベルに届かない出版物と言わざるを得ない。出版から二二年が経過しているが、訂正版を出すのに遅すぎることなどない。

« 囲碁の話題から | トップページ | 牧の方の娘の結婚相手 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 囲碁の話題から | トップページ | 牧の方の娘の結婚相手 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ