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2019年8月 6日 (火)

下野守藤原宗国1

 源義朝の前任の下野守である藤原宗国について確認する。
 宗国が下野守に補任されたのは久安五年(一一四九)三月一八日の除目で尻付に「式部」とある。康治二年(一一四三)六月時点では「宮内少輔」(近衛天皇の蔵人藤原経憲の父としての表記)であったが、嘉承二年(一一〇七)四月二六日には「式部大夫宗国」とみえる。或いは康治二年六月以降、式部省の役人に補任されたのであろうか。
 管見の範囲で宗国の初見史料は、『中右記』康和三年(一一〇一)八月一三日条で、「蔵人宗国」とみえる。前述の経憲は宗国の二男であったが、やはり蔵人となっていた。康治二年時点の宗国は六〇才前後で、子経憲は二〇才前後であろうか。これまで、「宮内少輔宗国」と下野守宗国は別人ではないかと思っていたが、史料を確認すると同一人物である可能性が大である。
 長治二年(一一〇五)六月一七日には春日社奉幣使として「職事宗国」がみえるが(中右記)、『殿暦』同年七月八日条により、宗国が忠実の識事であったことが確認出来る。嘉承二年七月一二日には「散位従五位下藤原朝臣宗国」とみえ、叙爵していたことと、式部大夫の任が終わっていたことがわかる。それが天永三年一月二二日には、忠実の子権中納言忠通が春日上卿を勤めるので、前駈を出すように白河院から度々使者があったので、「余職事宮内少輔宗国」に対して案内したことが記されている。散位から宮内少輔に補任されたことがわかる。

 

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