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2019年7月28日 (日)

活字本兵範記の利用

 たまたま、久寿二年七月二三日に死亡した近衛天皇の葬儀に関する記事で誤植に遭遇してしまい、訂正が必要となった。『兵範記』については、国会図書館デジタルで公開されている史料通覧版を利用するが、保元三年九月までのものに限定されるので、戦後の増補史料大成版を図書館で確認したり、史料編纂所の史料総覧の基礎となる稿本を利用している。
 七月二四日に新天皇後白河が昇殿を許しているが、通覧版で「□□□家長」と翻刻された部分を稿本で確認すると、「□□□」の部分は前の「同少将」実長と同じなので省略されていたようで、それに続く名前は「家明」(家成の子で隆季の同母弟)と読まれていた。家明は備後守兼左近衛少将だった。家長ではなかったので、以前の記事は訂正したい。
 次いで、七月二七日の記事に八月一日の葬儀で迎火を務める一五人の名前が記されている。二七日の記事には先頭に「家長朝臣」とあり、一日の記事では通覧版では「美濃守家長」となっていたが、稿本で確認すると、「美作守家長」と読まれていた。当時の美濃守は家教であり、家長は美作守であった。稿本をみるまでは「美濃守家教」の誤りかと思ったが、結局は鳥羽院の寵臣家成(すでに死亡)の異母兄家長が正解であった。今回は大成版の当該部分は確認していないが、自ら購入した大成版『中右記』(出版されている索引は大成版に基づいている)は戦前の史料通覧版と頁数を含めて同じで、がっかりしたことがあった。これに対して兵範記は、大成版と通覧版は構成に違いがある。また、これとは別に京都大学所蔵の写本の影印版も出版されている。
 すべて確認した上で史料を利用しなければならないが、実際にはそうもいかない。疑問が生じた場合は確認するというのが現実的であろうか。昇殿の「家長」については、年齢が高く、前述の記事でも疑問を持っていたが、ようやく確認出来た。きっかけは『広島県史』古代中世資料編で八月一日の記事をみて、確認したことであった。『広島県史』は既成の活字版を利用したと思われ「美濃守家長」となっており、再確認した次第である。

 

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