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2019年7月14日 (日)

以前の記事の補足1

 「藤原信頼について」で信頼の姉妹と藤原忠通の子基実との結婚について、元木氏の説くような忠通と信頼の間のトラブル後ではないのではないかとの疑問を記した。また、信頼の父忠隆の異母兄隆頼と摂関家の関係がその背景にあったのではないかと述べた。
 この点についてようやく遭遇した河内祥輔氏『保元の乱・平治の乱』(出版直後の二〇〇二年に購入し読んでいたが、最近所在不明であった)を読んでいたら、婚姻の時期について注で以下のように出典が記されていた。
『桃花蘂葉』(胡曹抄)に「広季記。平治元年七月一日、六条摂政、信頼の妹を迎え給う」とある(高群逸枝『平安鎌倉室町家族の研究』〈一九八五年、国書刊行会〉二二〇頁参照)。
 そこで『桃花蘂葉』について確認してみた。幸い宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵本がネットで公開されていた。五摂家の一つである一条家の儀式における着用装束について、旧記等から抜粋したものであった。『樵談治要』で知られる一条兼良が文明一二年にまとめ、一条家当主が門外不出として管理していたものである。宮内庁本は天文一三年六月に一条房通が子房基の懇望に応えて写して渡したことが記されている。
 一条家は九条兼実の子孫であるが、その家の寺院や庄園についても記されている。そうした中、「女房装束事」と題した部分に先例として「平治元七二六条摂政嫁娶〈于時関白〉右衛門督信頼妹」時の服装について記されていた。この写本は高群氏の引用した本とは異なるようで(群書類従本もある)、日付も平治元年七月二日と記されており、広季記についての言及もない。とはいえ、婚姻が事件後であることは確認できたので、前の疑問は撤回しなければならない。

 

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