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2019年6月 5日 (水)

上島享氏の知行国制論から1

 御願寺造営問題との関係で検索してヒットした上島享氏『日本中世社会の形成と王権』を中古で購入したが、ほんの一部を読むにとどまっていた。今回、庄園、知行国、院分国に関する部分を読んだが、それぞれ独自の見解が示されている。精読した知行国・院分国についてのみコメントを加えたい。
 論文は初出に対して様々な見解が寄せられたことにより、かなり修正・加筆を加えて論文集に収録されている。偶々、少し前に「重任功」の問題で氏の論文を批判した佐古愛己氏の論文(立命館文学の論文であり、ネット上に公開されている)を読んでいたが、佐古氏の論文を読む限り(上島氏の反批判はまだ精読していないので)、その批判は妥当という感想を持った。現時点の上島氏については理論的ではあるが、元木泰雄氏と同様、実証面では難点があると思う。具体的に述べたい。
 最新の岩波講座では本郷恵子氏が「院政論」を執筆しているが、上島氏への言及は、「一二世紀半ばには上皇・女院等も院宮分国の分配によって収益を確保するようになり、知行国制の確立をみる。」の注で五味氏と上島氏の論文を挙げているのみである。ただ、両者の論文を読めば、この見解は五味氏というよりは上島氏の説であることがわかる。元木氏の論文は複数箇所で注で言及されているが、「ただし藤原信頼が武蔵・陸奥両国を知行したことから、平泉藤原氏や源義朝を従属させ、武門の中心にいたとする評価は過大に過ぎるだろう」とする。全く同感である。元木氏についてはすでに述べたので、以下で述べるのは上島氏についてのみである。
 上島氏は知行国制へつながる要因として、院近臣受領による国務後見と国守収入の確保、さらにはこれに対抗して収入を確保するための公卿子息任官による公卿の知行国の増加を挙げる。上島氏の理屈に対し、知行国制は極めてファジーなもので(だから古代史専門家キラーと言える)、理屈ではとらえきれない面が多々ある。

 

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コメント

毎回興味深く拝読しています。ところで、研究者名がまま不正確に記してあるところが見えます。正確に記すことが、一つの先学への引用者としてのマナーと存じます。
本項では、
 佐古愛子氏→佐古愛己(さこ あいみ)
 本郷美恵子氏→本郷恵子(ほんごう けいこ)

ご指摘ありがとうございました。佐古氏は今回偶然に知りましたが、引用する段階で間違えたようです(以前読んで、しばらくして今回、上島氏の論文を読みました)。本郷氏についてはよく知っていたつもりでしたが、なぜか間違えてしまいました。

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