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2019年5月18日 (土)

藤原国通について1

 北条時政と牧の方の間に生まれ、平賀朝雅と結婚した女性は、夫が討たれた後に藤原国通と再婚している。この相手国通について確認する。
 国通は貞永元年八月二六日に五七才で出家し、正元元年四月に八四才で死亡しており、治承元年(一一七六)の生まれであり、牧の方の娘が頼朝の挙兵後に生まれたとした以前の推定と矛盾しない。その姉妹は滋野井実宣(一一七七年生)と結婚しているが、これらを結びつけたのは実宣の祖父実国の養子となった公佐であろう。実国と藤原家成の娘の間に生まれたのが、実宣の父公時であった。公佐は家成の子成親の子であり、公佐は公時の母方の従兄弟であった。また、実宣の母は吉田経房の娘である。国通の母は不明だが、藤原隆季(家成子)の娘を母とする兄経通とは同年齢であり、異母兄弟であった。
 これに対して国通の父泰通は為通の子であったが、父が仁平四年(一一五四)六月一三日に四三才で死亡した時点で八才であり、祖父伊通の同母弟成通の養子となった。なお、成通は源行宗の子有通も養子にしている。行宗の養女が崇德天皇との間に重仁親王を産んだ兵衛佐局である。行宗は康治二年(一一四四)一二月二四日に八一才で死亡しており、有通もまた晩年の子であったろう。
その時点で二〇才前半であったと思われる養女兵衛佐局も、行宗の死後は、保元の乱で崇德方として破れ出家した藤原教長の養女となっている。
 為通は世尊寺流第四代当主藤原定実の娘を母とするが、母の姉妹には待賢門院女房中納言がいた。その姉妹の兄弟である第五代当主定信の母は源基綱の娘で、その姉妹が源行宗の妻となっている。基綱はその琵琶の芸を娘婿高階為遠の娘を養女として伝え、その娘は待賢門院女房となり尾張と呼ばれた。


 

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