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2019年5月18日 (土)

藤原国通について2

 泰通の母は源師頼の娘であるが、その姉妹には藤原顕能の妻となり、待賢門院の第二皇子通仁親王の乳母となった大炊殿や崇德天皇の中宮聖子の女房となった頼子がいた。以上のように、国通の父泰通と祖父為通が待賢門院、崇德院と深い関係にあったことがわかる。建保七年一月二七日の将軍実朝の右大臣拝賀の儀式に、朝廷から派遣された実朝の妻の兄坊門忠信ら公卿五人と殿上人一〇人が参列しているが、すべて幕府や将軍と深い縁を持った人々であった。その公卿の一人として四四才の国通がみえていた。その時点で牧の方の娘と再婚していたかどうかは不明であるが、幕府との関係が深い人物である。
 牧の方の父が池禅尼の兄弟であることは、その娘の再婚相手が国通であったことの十分条件ではないのである。杉橋隆夫氏が中心となって作成された『兵範記』人名索引では、1)保安元年正月六日条、2)保延二年一二月二一日条、3)同四年正月一五日条が同一人物である藤原宗親のものとされているが、2)のみが池禅尼の弟宗親のもので、1)と3)は藤原宗能の子宗親に関するものである。その成立する可能性が0%でなければ信じたいというのは学問ではなく、信仰でしかない。信仰のスタートは十分な根拠もなく牧の方の父宗親を池禅尼の弟宗親に比定した赤松俊秀氏(四〇年前に七二才で死亡)である。牧氏が武士か貴族かが問題ではなく、平頼盛領である大岡牧に派遣された頼盛の家臣を含む関係者が牧氏であった。ただし、頼盛領になる以前から大岡牧と関わりを持っていたであろう。

 

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