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2019年5月31日 (金)

一一世紀の隠岐国司2

  承暦五年一二月一六日に受領功課が行われた「隠岐成経」は源成経である以上のことは不明である。応徳元年正月一七日条にみえる「前隠岐守平資季」は同三年一二月一六日には堀河天皇の即位に際して治国により従五位上(下の誤りヵ)に叙されている。またその子宗政が同年一二月八日に蔵人所所衆に補任されている。ただし、康和元年(一〇九九)九月一七日の除目では従五位下平資季が河内守に補任されている。その注記には「六位、任中一」とあり、六位の時点で隠岐守に補任され、その後従五位下に叙され、河内守に補任されたのが正しい。嘉承二年正月一九日の大饗では勧盃を勤めるとともに立作所献雉用の雉を資季が準備している。七月二四日の堀河天皇の葬儀では「厨子所」三人の中にみえる。この資季について野口実氏は系図に記載は無いが、伊勢平氏の一族であろうと推測しているが、根拠はない。野口氏は正盛流の画期を隠岐守退任から若狭守補任の間としているが、これは従うべき見解である。
 康和二年(一一〇〇)一二月に前隠岐守従五位下卜部兼職が永保元年(一〇八一)~応徳元年(一〇八四)分の功過定を受け、それに先立つ永長元年(一〇九六)正月五日には叙爵している。六位で隠岐守に補任され、退任後叙爵したことになる。
 嘉保元年(一〇九四)二月二二日に従五位下橘朝臣為重が隠岐守に補任されているが、その他の史料はなく、系図上の位置づけも不明である。平正盛については前に述べたので省略するが、嘉承元年(一一〇六)に補任されたとする某延行についても不明である。

 

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