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2019年4月17日 (水)

藤原尹通について4

尹通は白河の娘禛子内親王=前斎院の家司となり、次いで白河の娘令子内親王の皇后宮権大進となり、最後に白河が寵愛した璋子の中宮大進となった。元永元年正月に璋子が立后された際の中宮大進は藤原為房の子重隆であったが、同年閏九月一日に重隆は死亡した。その後任として翌年一一月二八日以前に尹通が中宮大進に補任された。系図には尹通に「下野守」との注記があるが、関係史料は確認できなかった。
 尹通死亡時に二〇才であった知通は叙爵後三〇才前後で常陸介に補任されるとともに、待賢門院庁の別当となり、次いで鳥羽院庁の別当にもなった。尹通には藤原顕憲の妻となった娘があり、知通は妻の弟俊定を養子とするとともに、娘を葉室惟方や藤原頼憲の妻とし、知通の子尹明は大外記中原師元の娘を妻としたが、その母は平忠盛の娘であった。
 平治の乱では尹明は惟方とともに、信頼方となったが、後に忠盛の子清盛と結んだ。二条天皇派の中心となった惟方が、後白河の命を受けた清盛によって配流されたのに対して、尹明は平氏政権でも出羽守になるなど活躍し、平家の都落にも同行した。
 今回の検討は、卜部兼仲の前任の石見守藤原尹経の補任時点で石見国が待賢門院の分国とされたのではないかとの仮説に基づくものであった。そのためには、尹経が母が同じ知通よりある程度年少であることが大前提であるが、尹経の生年を推定しうる史料は確認できなかった。叙爵と同時に阿波守に補任された点は元服と同時に叙爵し出雲守に補任された源光隆と同じであり、その可能性は高いとは思うが、どうであろうか。
 光隆は藤原基隆の養子となり、その名に隆を付けたと思われる。それでは尹経の「経」はどうであろうか。同母兄知通と尹経は父の名前から一字ずつ使用している。尹通の母方の祖父通宗の同母兄弟通俊の女子は大炊御門経実(摂政師実の子)との間に経定をもうけている。尹経が叙爵と同時に阿波守に補任された元永元年時点で経実は大納言であった。その長子経定は一〇才で叙爵し、中宮(聖子)権亮を経て保延四年には崇德天皇の蔵人頭となっている。異母妹懿子は雅仁親王(後白河)との間に守仁親王(二条天皇)を産んでいる。

 

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