koewokiku(HPへ)

« 源雅頼・兼忠父子3 | トップページ | 歴博概報Vol2の2 »

2019年4月25日 (木)

歴博概報Vol2の1

 歴博のHPで『中世益田現地調査成果概報Vol2』が公開された。有意義であると思った点とともにいくつかの疑問を持ったので、以下で述べてみたい。
 今回は豊田郷とともに長野庄を構成する高津郷、飯田郷、虫追村の調査結果が述べられるとともに、発掘調査で得られた陶磁器の年代に基づき、益田本郷と東仙道の関係についても述べられていた。豊富な地図、写真、表が添付されており、読む者が理解・検証できるようになっている。
 論者が最も重要な指摘だと思ったのは高津川の本流が現在と異なり飯田町の西側を流れていた点であった。現在は高津川の両岸に分かれている飯田と角井の間では婚姻関係や本家・分家関係がみられるという。東側の現在の流路も小規模ではあるが存在し、飯田の地は河に囲まれた中州のような状況で、港湾機能があったとされた。
 一方で、飯田郷が長野庄内の益田氏の根本所領であるとされる点と、やはり庄内の益田氏領であった安富郷に長野庄政所が置かれた可能性が高いと述べられた部分は、根拠があるのかとの疑問を持った。また、東仙道地域が益田氏がはじめに本拠とした地域と考えられている事に言及する一方で、三宅御土居跡について、益田氏が本拠を置く以前から益田氏にとって重視された場所であると述べているのも、はるか以前に誤りであることが明らかになっている説であり、疑問である。
 三宅御土居のある場所には益田庄支配の中心となる政所が置かれていた可能性が高く、益田川の対岸土井町に庄官である益田氏館が存在したことは確実である。東仙道はあくまでも、益田氏惣領家領の大半が没収された文永末年~鎌倉末期までの益田氏惣領家の中心所領であった。

« 源雅頼・兼忠父子3 | トップページ | 歴博概報Vol2の2 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 源雅頼・兼忠父子3 | トップページ | 歴博概報Vol2の2 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ