koewokiku(HPへ)

« 揖屋庄領家再論 | トップページ | 一一世紀の石見守2 »

2019年4月15日 (月)

一一世紀の石見守1

 藤原盛重以前の石見国司について確認する。
 一〇世紀末であるが、長徳二年(九九六)三月二八日に藤原実明が石見守を、源輔良が長門守を停任されている。実明は藤原北家良仁流当国の子である。系図では当国に「尾張守」の注記があるが、一次史料では確認できない。従兄弟隆頼にも「石見守」との注記があるが、これも確認できない。実明の他の受領歴も確認できない。長保元年(九九九)九月一三日には実明が小野宮右大臣実資に牛二頭を送っており、小野宮家の家司等であろう。
 長保元年(九九八)正月には元主殿允保重が権少外記に補任されている。翌年正月には転任しているが、その後も少外記とみえ、長保三年八月二五日に大外記に転じ、同五年正月七日には叙爵している。その上で寛弘四年(一〇〇七)正月に石見守に補任された。寛仁三年(一〇一九)正月二一日には前石見守保重の功過が定められており、これ以前に退任していた(『小右記』。二三日条には保重が石見守を勤めたことで加階を実資が推薦したことが記されている。保重も小野宮家の関係者であろう。長和四年(一〇一五)一〇月一五日時点で「前石見守清科」とみえ、その後の受領歴はなかったと思われる。
 寛仁三年(一〇一九)正月二三日には源頼信が石見守に補任された。清和源氏源満仲の子で藤原道長に仕える一方で上野介と常陸介を歴任していた。同年七月八日には翌日石見国に下向するとして、実資から禄を与えられている。道長の近習であったことも記されている。治安三年五月二三日には前石見守頼信が解由を持参した事と、石見守藤原頼方が二六日に赴任するとのことで、実資が下襲を与えた事が記されている(『小右記』)。頼方は尾張国郡司百姓等解文で訴えられた藤原元命の子である。一方、頼信は八月には鎮守府将軍に補任されている。同年一二月八日には伴定義が石見守に補任されているが、それ以上の点は不明である。

« 揖屋庄領家再論 | トップページ | 一一世紀の石見守2 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 揖屋庄領家再論 | トップページ | 一一世紀の石見守2 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ