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2019年4月11日 (木)

憲方・光房・経房6

 永万二年三月九日には六条天皇の下で昇殿を認められ、八月二七日には平時忠に替わって蔵人に補任された。この後、経房の娘が時忠の長子時実の妻となっている。六条天皇の実質的外戚の地位にあったのは徳大寺実定であった。次いで仁安二年正月には藤原長方の跡をうけて右衛門権佐に補任された。八月には七月に従四位下に叙せられた長方が従五位上相当の左衛門権佐を辞退した跡に転じた。
長方の母と経房の母はともに藤原忠俊の娘であった。
 仁安三年二月一九日には新帝高倉天皇の蔵人となり、三月二〇日には高倉の母滋子が立后されたことに伴い、皇太后宮大進に補任され、嘉応元年四月一二日には院号宣下された建春門院判官代となった。滋子は藤原顕頼の娘を母とし、上西門院女房であった。六条天皇と高倉天皇は対立する側面があるが、経房は平時忠を含めて関係を有していた。その後も政権の交代に関係なく、経房は昇進し、公卿の地位を得たが、旧知の頼朝が幕府を開いたことで、経房は初代の関東申次とでもいうべき地位を得た。経房が頼朝以前に北条時政との関係を有していたとの説があるが、すでに述べたように、十分な根拠はなく、矛盾に満ちたものである。頼朝が経房領出雲国薗山庄前司師兼の養成を受けて、その還任の推薦状(経房宛)を師兼に与えたように、両者の関係は緊密なものであった。とりあえずはここまで。 

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