koewokiku(HPへ)

« 牧(大岡)氏の補足 | トップページ | 藤原光能2 »

2019年2月21日 (木)

藤原光能1

 野口実氏「流人の周辺—源頼朝挙兵再考」(『中世日本の諸相』上所収)そのものは未見であるが、そこでは関東へ下向した公家出身者(中原親能、大江広元等)を幕府に結びつけた人物として、藤原光能の存在が指摘されているようで、岩田慎平氏の論文や講演で繰り返し紹介されている。論文そのものは、国会図書館に複写を依頼しても最大半分までしかできないし、県内の大学・公立図書館も所蔵していないので、とりあえず、アマゾンで中古本(上・下とも)を注文した。三〇年ほど前の出版で、当時でも上下で2万円するが、最も安いところでは上下で3千円(税別)で入手できる。これまで購入した例でみても、読むのに支障があることはないと思われる。史料集なら個人蔵であった可能性もあるが、論文集の場合は在庫残りである可能性が大きい。元木泰雄氏『藤原忠実』のみ、元台湾大学の所蔵本であったが、これも図書館シールを剥いだ跡はあるが、新品同様のものであった。
 野口氏論文では光能についてどこまで記述されているかは数日中に届いた時点でのお楽しみであるが、とりあえず自分で調べてみた。問題はなぜ「光能」がという点である。ブログでは過去に文治二年三月に光能の後室比丘尼阿光(足立遠元娘)が丹後国栗村庄への武士による妨げ停止を求めた『吾妻鏡』の記事を紹介した。ポイントは栗村庄が崇德院領であったことである。崇德院の菩提を弔う御影堂等の所領であったと考えられるが、崇德院庁の庄園が一旦没収され、後にその祟りを恐れて「崇德院」の名が送られた時期に、御影堂に寄進されたものであろう。その領家が光能であったのは、光能が待賢門院流に属していたためであろう。岩田氏は光能が後白河院の近臣であったことを強調されるが、その出世は遅い。

« 牧(大岡)氏の補足 | トップページ | 藤原光能2 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 藤原光能1:

« 牧(大岡)氏の補足 | トップページ | 藤原光能2 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ