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2019年2月14日 (木)

信西入道と二人の父1

 保元・平治の乱の主役の一人信西入道は学者の家系である南家貞嗣流の実兼のとして生まれた。その名通憲は、祖母の父通宗に因むものであろう。通宗は小野宮流藤原経平の子で周防・若狭・能登守を歴任して応徳元年(一〇八四)に死亡している。その母は筑前守高階成順(その父明順が季綱母の祖父業遠と従兄弟)の娘であった。また通宗の姉妹睦子は勧修寺流藤原実季との間に待賢門院の父公実や鳥羽天皇の母苡子を産んでいる。また別の姉妹は藤原顕季との間に長実(美福門院の父)、家保(家成の父)並びに宗通の妻(伊通の母)を産んでいる。
 父実兼の同母姉悦子は夜の関白と呼ばれた藤原顕隆の妻で鳥羽天皇の乳母であった。両者の子で通憲の従兄弟となる一二才年長の顕頼は鳥羽院近臣で、従姉妹栄子は崇德天皇の乳母であった。実兼の同母兄尹通は白河院の近臣として受領を歴任した。これに対して嘉承元年(一一〇六)生の通憲は七才で父実兼が急死したため、高階経敏の養子となった。祖父季綱の母は高階業俊の娘であり、経敏は業俊の孫にあたる。
 高階氏一族は白河院のもとで各地の受領を歴任していた。経成の子である経敏は寛治四年から七年(一〇九〇~九三)にかけて相模守を務めたことが確認できるが、天永三年(一一一二)正月に武蔵守に補任されるまで二〇年間近くかかっている。
追記:当初、通憲の曾祖父を通定として説明していたが、通宗の誤りであるため、大幅に修正した。

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