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2019年2月10日 (日)

池禅尼と牧の方1

 この問題については、牧の方が池禅尼の兄弟(藤原宗兼の子)の娘であるとの説が杉橋隆夫氏により唱えられたが、中世史研究者の多くはそれを肯定的に捉えたのに対して、系図研究者宝賀寿男氏はそれが成り立つ余地がほぼないことを明快に述べている。宝賀氏は明確な論拠を示しているが、杉橋氏を初めとする中世史研究者は、牧の方の武家社会と公家社会における活動を理解するためには、それが百%成り立たない限りは支持するというものである。北条氏をはじめとする幕府御家人について新たな研究を次々と発表している野口実氏も杉橋説には大きな難点があることを認めながら、手直しを加えた上で成り立つとしている。この点を検討した論者の結論は、杉橋氏の作業は北条氏研究の活性化をもたらしたが、牧の方と時政の婚姻は挙兵後であるとして矛盾はなく(一々述べていないが、関係すると思われるすべての人物の生没年代を確認した上での結論である。牧の方の年齢は政子に近く、その子女の誕生時期は頼朝の挙兵後の婚姻で問題はない)、その父宗親が藤原宗兼の子宗親である可能性はゼロとしてよいというものである。野口氏の作業が有意義であるとの前提であるが、以下で論理的に述べたい。
 以下で引用する野口の論文を番号で略記する。
 論文Ⅰ 「京武者」の東国進出とその本拠地について 大井・品川氏と北条氏を  
中心に(京女大宗・文研紀要一九、二〇〇六)
 論文Ⅱ 伊豆北条氏の周辺 時政を評価するための覚書(同紀要二〇、二〇〇七) 
 論文Ⅲ 北条時政の上洛(同紀要二五、二〇一二)
 野口氏が杉橋説を評価しながらも、問題があるとしたのは、杉橋氏が時政と牧の方が結婚したと想定した時期(Ⅰ)と『吾妻鏡』にみえる大岡宗親記事(Ⅱ)であった。野口氏は、一時は時政の嫡子とされた政範が杉橋説だと牧の方四六才の時の子となるのは無理だとしながら、婚姻の時期が頼朝挙兵以前であることは間違いないと思うとした。ただしその根拠は示していない。また、『吾妻鏡』にみえる宗親は牧の方の兄時親と混同したものとし、宗親は頼朝挙兵以前に死亡していた可能性が高いとした。

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