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2019年1月26日 (土)

一五世紀後半の上黒谷1

 偶々検索していて、記者発表資料のPDFに行き当たった。従来から知られていた古文書が石見国に関係するものであることがわかったという。『山口県史』史料編中世2に収録されているとのことで、早速去年の秋に購入した県史で確認してみた。最初にヒットしたものではしばらく待っても表示されなかったので、HTML版をみたが、画像が表示されずテキストのみであった。県史をみた後に再度開いたら、今度はPDF版がきちんと表示され、写真と解読文も確認できた。
 よく覚えていないが、表示ソフトを変えたのかもしれない。一応、①インターネットエクスプローラ、②エッジ、③クロームの3つを併用している。例えば編纂所の古記録テキストデータベースを開くと、関係文が表示される。その部分をワープロ上に複写すると差がある。もっとも利用しやすいのは、①+ワードで、A書式を維持、B書式を結合、Cテキストのみのいずれを選んでも良く、そのまま利用できる。これが②、③+ワードだとテキストのみで複写すると字と字の間にスペースが入ってしまう。これが一太郎でCを選ぶと、①③では字間にスペースが入り(③が大きい)、②では字間の改行マークが入ってしまう。同様の違いは、PDF上からテキストをコピーした場合も同じで、マイクロソフトが仕様を公開していないためであろう。
 話を戻すと、二度目にPDF版を見た際に、解読文の最初がおかしいなと思って写真と対比すると、「上黒谷依御扶持」から「依」が欠落していた。チェックから洩れたのだろう。それ以上に文書の解説文が気になった。「某美作守から上黒谷で領地をもらった」「この直前に上黒谷の支配者が替わった」という部分がしっくりこなかったのである。美作守は益田氏ないしは吉見氏一族と推測されますとあるが、一方なら交替ではなく、もう一方である場合のみ交替となるのではないか。また「美作守」については、大内氏の関係者もありうるのではないか。確定はできないが、この文書は永正4年のものである。その前と後の時期に大内氏から九州に派遣されている陶美作守がいる。有名な陶興房とは別人であるが、名前は不明である。写真をみる限り、破れた美作守の苗字の部分は一字である可能性が高い。

 

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