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2018年12月20日 (木)

杵築大社神主補任状から2

 Aについて山岸氏は杵築大社の遷宮がほぼ三十年周期で行われていることを主張する内容であり、その趣旨に合わせるべく史実を改ざんしている可能性があると述べたが、その評価は適切であろうか。Aの性格についてはその冒頭に、杵築大社造営について在庁并社頭での訴えが多発しているとして、国衙から六月中旬に奏聞があったことに対する報告であることが述べられている。作成主体は国衙ではなく、杵築大社政所である。政所は本来、国衙組織の中で一宮杵築大社の管理にあたっていたが、杵築大社領が立券された時点で国衙からは独立した。杵築大社並びにその所領を支配するための組織であり、領家のもとで現地の責任者として補任されたのが神主であり、惣検校とも呼ばれた。両者は同じものに付けられた二つの名称であるるが、惣検校の権限の一部を分割して新たに権検校が新設されて以降は、権検校が総検校の下に位置するとの誤解を防ぐため、神主の名称が一般的に使われるようになった。後に神主と権検校の両方を国造が独占するようになると、権検校は神主の下に位置づけられ、それとともに惣検校の名称が復活した。
 二つの名称の関係について井上寛司氏の理解の一部に混乱がみられていたため、二〇〇四年の論文で整理して示したが、昨年出版された佐伯徳哉氏の著書では混乱が拡大している。すなわち、「神主職は神事の中心を担う職であり神社のトップである。また、総検校職は、その名称からは社内の庶務を総括する事務局長的な職であったと考えられ、いずれも神社内を総括する要職である。」と述べられ、神主は神事、惣検校は庶務を担うとされているが、名称に引きずられた誤解である。神事に関しては国造職があり、その上に立って神事と所領支配を行うのが神主=惣検校である。強いて言えば、惣検校職は国造側が最もよく使用し、領家並びに幕府は一部を除き神主職を使用している。

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