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2018年12月20日 (木)

杵築大社神主補任状から1

 嘉禄二年七月 日領家藤原家隆袖判下文(千家家文書)により、出雲政孝が神主并本御領沙汰人職に補任されている。現在残る領家による国造への神主補任状としては最古のものである。これ以前の年紀を持つ文書は国造以外への補任状か、そうでなければ後に作成された偽文書である。これと関連するものが建治二年二月 日領家藤原兼嗣下文(北島家文書)で、そこには「去嘉禄造営之時、依無旧記及遅々之処、義孝親父国造政孝為十代造営日記文書所持之間、彼旧記他人不令帯之由載御下文、被補任政孝於神主職畢」と記されている。
 この記述については松薗斉氏が「出雲国造家の記録譲状作成の歴史的背景」で言及している。松薗氏は国衙の作成・保存した造営史料が国造の手に入り、徳治二年の出雲泰孝以降の譲状の記載内容の変化(造営日記・文書が記載される)に影響を与えたとする理解に基づき、疑問を呈している。政孝が所持していたとすれば、国衙作成史料が政孝以前のかなり前から国造家に伝来していたことになるが、それならばなぜ神主をめぐる対立でそれを主張しなかったかというのである。また、この点について山岸常人氏は、政孝の子義孝の段階の一三世紀中期以前に在庁官人が追放され、替わって国造が幕府御家人となって国衙に進出して造営関係記録を獲得したとされると松薗氏の研究成果をまとめた上で、政孝が記録を所持していたという引用は史実なのか疑わしい点があると述べている。
 松薗・山岸氏の理解は、造営関係記録の保存に関する事実を踏まえたものではなく、誤りである。A承久二年三月八日付で治暦三年二月一日以降の杵築大社の正殿遷宮と仮殿遷宮をまとめて報告した文書が残されている(北島家文書)。一方、B建久二年七月 日出雲国在庁官人等解でも杵築大社の正殿遷宮について述べられているが、山岸氏は前者より後者が信頼性が高いと評価している。これに従来C「治暦・永久旧記」と呼ばれた杵築大社造営遷宮旧記注進が、正殿遷宮が維持された時期の杵築大社の造営と遷宮を考える基礎資料となる。これ以降に作成されたものもあるが、その亜流にすぎず、その信憑性は前記三点より低い。

 

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