koewokiku(HPへ)

« 出雲守藤原朝経について | トップページ | 池禅尼と頼朝2 »

2018年11月 1日 (木)

池禅尼と頼朝1

 藤原宗兼は平忠盛の後妻(正室)池禅尼の父として知られているが、その関係史料をみていく。前に保安五年(一一二四)三月の鳥羽院第二皇子通仁親王の御七夜の諸国所課について触れたが、御三夜と御五夜の所課(饗)について確認する。
 三夜からみると、上達部二〇前と殿上人二〇前はいずれも藤原清隆(讃岐国)が、侍所二〇前は藤原顕頼(丹波国、顕隆子)が負担している。女房衝重六〇前は平実親と日野資光が三〇前ずつ負担しているが、両者ともこの時点ではいずれの国の国守でもない。庁二〇前を負担している源憲盛(蔵人等雑色)についても同様である。三夜については国守というよりは中宮璋子の関係者に負担を課していると考えられる。饗以外では御前物は中宮大夫(源能俊)が、児御衣は中宮権大夫(西園寺通季)と花山院忠宗が負担している。
 同年(天治元年と改元)一一月に中宮から院号を与えられ待賢門院庁が成立した時点で大夫能俊、権大夫通季、亮顕隆(顕頼の父)、権亮家保・忠宗が待賢門院庁別当となり、権大進実親、少進資光と権少進高階通憲(後の信西入道)が判官代になっている。
 これに対して五夜は七夜と同様諸国に課している。御前物は藤原敦兼(備中守)が、威儀御膳は源有賢(三河守)、御膳用の餅・菓子は藤原顕盛(伯耆国)・源雅職(甲斐守)・藤原憲方(出雲国)・藤原為忠(安芸国)が、御衣は藤原顕盛が負担している。饗は上達部二〇前を藤原宗兼(近江守)、殿上人二〇前を藤原実信(備後守)、侍所三〇前を藤原季輔(紀伊守)、庁三〇前を藤原範隆(和泉守)、女房衝重三〇ずつを藤原隆頼(若狭守)と源顕定(越中守)が負担し、饗全体の担当は藤原顕頼(丹波守)である。その他屯食三〇具は平忠盛(越前守)が、禄は藤原顕能(備前守、顕隆子)が負担している。
  備中守藤原敦兼は父敦家とその姪(顕綱娘)で堀河天皇の乳母となった兼子の間に生まれ、大治三年(一一二八)一二月待賢門院庁牒の署判者としてみえる。三河守有賢は雅楽の家の出であったが白河院に接近して受領を歴任し、自らは院庁の四位別当、その子資賢(母は高階為家娘)は判官代となった。その後、親子は鳥羽院の近臣となる。有賢は平正盛の娘との間に子宗賢をなしているが、永久五年(一一一七)一一月に璋子の家司が定められた際には正盛・忠盛父子は政所の五位別当としてみえる。伯耆守顕盛は白河院近臣長実と院が寵愛した娘郁芳門院女房との間に生まれ、璋子の侍所の五位別当としてみえる。

« 出雲守藤原朝経について | トップページ | 池禅尼と頼朝2 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 池禅尼と頼朝1:

« 出雲守藤原朝経について | トップページ | 池禅尼と頼朝2 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ