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2018年10月19日 (金)

杵築社への奉幣1

 昨日がブログ開設一〇年目であったが、一一年目の最初の記事である。
 標記に関する史料を確認した。『中右記』中の記事であるが、テーマ毎にまとめた「部類第一九 奉幣」の史料であるが故に、『大社町史』『松江市史』や井上寛司氏作成の「中世出雲国関係史料編年目録」にも洩れている。論者は基本的には戦前発行であるがゆえに国会図書館デジタルが公開している史料通覧版を利用しているが、底本とした写本に対して他の写本との校訂が十分ではなく、戦後には増補史料大成版が刊行され、『中右記』の索引もこれに準拠している。さらには一九九三年以降、東大史料編纂所編で『大日本古記録』の一つとして刊行が行われているが、現時点では第七巻(天仁元年六月まで収録)までと別巻一冊(二〇一一年刊)しか刊行されていない。前記の二書は七巻本であり、全一八巻の古記録版が完成してようやく利用の便宜が図られる。刊行済のテキストについては史料編纂所の古記録フルテキストデータベースの検索に反映されている。当方も別巻に含まれる内容を同データベースで確認した。「日野資光」について検索している過程で目にとまったものである。
 『大社町史』『松江市史』で奉幣の史料を確認すると、後に事実ではなかったことが判明した長元四年八月の杵築社顛倒に対して、閏一〇月一五日に朝廷からの奉幣使の派遣が決定され、神祇少祐大中臣元範が派遣された。
 天永三年六月に遷宮が終了した杵築社造営については、天仁元年(一一〇八)一一月に仮殿遷宮が終わり、正殿造営のための材木の採取が始まったが、必要な質・量を備えた材木が確保できないことが判明し、一時中断した。一年半後の天仁三年七月に因幡国などから材木を調達してようやく造営が軌道に乗り、造営終了後の天永三年四月二八日に遷宮日時が決定され、六月一八日に遷宮が行われた。当初から周辺諸国の協力のもと造営する体制であれば中断は回避できたはずであり、行き詰まったために、協力を仰ぐ形となった。

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