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2018年10月12日 (金)

出雲国の格付

 五味氏による国の格付で出雲国はCとされ、意外な感じを受けたので、一応検討してみたい。ただし、嘉承三年(一一〇八)に白河院が主導権を持って人事を行って以降は、仁平四年補任の源光保を除けば知行国主ないしは院分国下の国守である。
 承暦元年(一〇七七)補任の源経仲はそれ以前(具体的年次不明)にはBランクの上野守であった。永保二年(一〇八二)補任の藤原兼平はCランク和泉守経験者で、出雲守の後にBランクの淡路守に補任されている。寛治五年(一〇九一)補任の藤原季仲は、その後Cランク出羽守に補任されている。寛治六年補任の藤原重仲は、その後A3ランクの近江守に補任されている。永長二年(一〇九七)補任の藤原忠清は、その後Bランクの淡路守に補任されている。長治元年(一一〇五)補任の藤原家保は、ぞの前年にA3ランクの備後守に補任されている。
 季仲、重仲は出雲守が受領初任であったと思われ、嘉承三年以降でも藤原憲頼、憲方、源光隆、平基親、藤原朝時、朝定、能盛、朝経が初任である。これが五味氏が出雲国をCランクとした理由であろうが、Bランクとした方がより妥当ではないか。これと矛盾するとすれば季仲が次にCランクの出羽守に補任されていることであろうか。
 知行国、院分国下の国司は特別な事情があろうが、三河守・周防守・安芸守・近江守からの遷任があり、Bとして矛盾がある遷任例はみられない。承安四年(一一七四)に朝定が石見守に遷任したのは出雲国が後白河の院分国とされたため、空きのあった石見国に一時的に移っただけである。逆に経隆が大治五年(一一三〇)に最上位A1である讃岐守に遷任したのは院近臣間の交替のため生じた事態であった。相博が3例あるが、石見国を除く周防国・安芸国(ともにA3ランク)の例をみればやはり出雲国はBとした方が問題点は少ないと思われる。全体の見直しの中で再検討が必要ではあるが、出雲国については格上げに問題はみられない。

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