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2018年10月19日 (金)

杵築社への奉幣2

 『中右記』天永元(天仁三)年(一一一〇)六月一三日条によると、杵築社奉幣日時と越前国気比宮遷宮日時、大宰府管下の鏡宮の破損修理日時について朝廷で話し合われている。気比宮の遷宮は一旦日時が決められたが穢の問題から延期されていた。杵築社については同年三月に鳴動したとの報告があり、重大な事態であるとの占い結果が出された。天永元年は三合厄の年にあたり、災害の多発が恐れられていた上に、五月一二日には彗星が出現しており、延久五年(一〇七三)の例に基づき神祇少祐を奉幣使として派遣することとなった。同年は治暦三年の遷宮の六年後であった。なお天永元年に閏七月一日には出雲守藤原顕頼が出雲国へ下向するため白河院のもとを訪ねたところ、院から馬を賜り、これについて藤原為忠を通じて『中右記』の記者宗忠に問い合わせがあったが、馬を賜るのは大宰府帥や大弐に限られるとの返事をしたことを記している。顕頼の出雲国下向は正殿造営の本格化を確認するだけでなく、奉幣使派遣とともに出雲国内の安定を図るためのものであったと考える。
 日記については原本やそれに準じるより質の良い写本が発見されているようである。ただしその本の利用は誰にでも容易ではない。とりあえずは、使用することを決めた部分については、当該部分を確認するというのが現実的目標である。『愛知県史』では資料編に収録した本文は良い本に基づき、人名の注記も収録したが、国司表を作成した際には従来の活字本で行ったため、『愛知県史研究紀要』の論文の中で若干の修正が加えられている。「日野資光」(資憲の叔父)の関係史料は『中右記』にかなりあることが索引からわかるが、それ以外のものも一定程度確認した。『中右記』を含む公家の日記から行事関連史料をまとめた『仙洞御移徒部類記』や『御産部類記』(いずれも宮内庁書陵部から活字本が出版されている)は院政期を研究するための重要史料である。

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