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2018年10月23日 (火)

出羽国の格付1

 出雲国を五味氏はCに格付けられたが、再検討の結果、Bが妥当との説を提示した。これと今回の藤原季仲が出雲守から出羽守に遷任したとの説の関係はどうであろうか。出雲国をBに変更した当方の説には問題があるのではないかとの疑問を持たれる方もあるかもしれないので、出羽守についても再検討してみる。
 出羽守補任・現任が確認できる院政期の人物はそれ以外の国守を確認できる例が少ない。ようやく一例目として、仁平二年(一一五二)八月一〇日にBランクである因幡守に在任していた藤原盛方が、久寿元年(一一五四)二月八日に出羽守に補任されたことが確認できた。
 盛方は、藤原為房の子で嘉承三年(一一〇八)に因幡守に補任されたが、在任三年半が経過した天永二年(一一一一)五月二八日に死亡した長隆と高階重仲との間に天永元年に生まれた顕時の子である。『中右記』を記した藤原宗忠の子宗成が因幡守の後任として補任されたが、顕時(保元二年八月二二日に顕遠から改名)は父が死亡した時点では二才にすぎなかった。Cランク摂津守(一一三四、二五才)、Cランク甲斐守を歴任する一方で康治二年(一一四二)には院(崇德ヵ)判官代となり、それ以降は左少弁→左中弁→右大弁→左大弁と昇進し、平治元年には正四位下参議に補任されている。
  因幡守は久安六年(一一五〇)末まで顕時の妻の父である藤原信輔が二期八年務めていたが、顕時の子で信輔の孫となる盛隆が仁平元年(一一五一)正月に補任された。翌二年八月一〇日には盛隆の異母兄弟(母は平忠盛の娘)盛方(一六才)の現任が確認できる。盛方は前述のように久寿元年正月に出羽守に遷任し、因幡守の後任には盛隆の母方の祖父信輔の子信隆が補任された。盛隆はこの時に甲斐守に補任されている。

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